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#時間のない領域
どのようにしてこの時空の旅の終焉を迎えることになるのか?
帰還の旅は自覚することからはじまる「自分は分かっていない」と自覚するとき、それは学びのはじまりだといえます。
「自分は病んでいる」と自覚するとき、それは癒しのはじまりだといえます。
「自分は狂っている」と自覚するとき、それは正気へのはじまりだといえます。
「自分は間違っている」と自覚するとき、それは訂正(奇跡)のはじまりだといえます。
「自分は夢を見ている」と自覚するとき、それは目覚めの
過去、現在、未来というリニアな時間の流れゆく幻想を眺めているだけ
それは「今」への帰還であるコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深化していくにつれて、その実践は「今」に戻っていくことをしているのだと分かってきます。
というのも、私たちは赦しの実践を通して、毎回、心の<決断の主体>の空席となっている場所に戻っていくことをしていくわけです。
それをしていくことによって、私たちは本当は、毎瞬毎秒、分離がはじまった原初の瞬間にいるのだということが理解されるように
無限の数の宇宙が存在するって本当?
私たちはたった一つの夢を見ているにすぎない「宇宙は人の数だけ無限に存在している。」
ノンデュアリストさんたちの中で、そのような表現をする方がおられます。
たしかに、一人一人が個人的に独自の宇宙の夢を見ている、というふうに見るならば、その通りだといえます。
仏教では、それを「三千大千世界」というような言い方をしたりします。
そこには無限の数の宇宙があるかのように見えるわけです。
ただし、そ
個別の「私」と、一なる心の「私たち」
私はいない私は肉体(身体)ではない。
もっといえば、「私」というものはいない。
「私」というものがない。
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくにつれて、そのことが体験的分かってくるようになります。
つまり、「私」というものも自分がでっち上げた想念でしかないと理解するようになっていくということです。
さらには、個別性、特別性、個人性というものが、いかに馬鹿げて狂
どのようにしてこの時間と空間から脱出していくのか?
「今」にいない私たちの思考自分の思考を観察すれば、その思考はいつも過去か未来かに飛んでばかりいて、今(現在)にいないことが認識できます。
常に、過去か未来かのイメージ(思考)にとらわれているといいましょうか。
そう、時間の中に入り込んでしまっている自分に気づくわけです。
「時間の中に入り込む」とはどういうことなのか?
というなら、つまりは、あたかも過去から現在そして未来へと時間が流れてい
自分はいない = 自分は全一なるひとり子であるということ
「心を忘れた状態」から「心を自覚した状態」へ私たちは自分たちのアイデンティティーを忘れて、肉体(身体)と同一化してしまった状態になっているといえます。
自分はこの世界の夢を見ている「心」なのだということを、もはやまったく忘れています。
その状態を、「心を忘れた状態(マインドレスネス)」と呼んでいます。
その「心」の自分を思い出していくための手段として、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講