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過去、現在、未来というリニアな時間の流れゆく幻想を眺めているだけ

それは「今」への帰還である

コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深化していくにつれて、その実践は「今」に戻っていくことをしているのだと分かってきます。

というのも、私たちは赦しの実践を通して、毎回、心の<決断の主体>の空席となっている場所に戻っていくことをしていくわけです。

それをしていくことによって、私たちは本当は、毎瞬毎秒、分離がはじまった原初の瞬間にいるのだということが理解されるようになるということです。

原初の瞬間とは、時間のはじまったところでもあり、時間が終わったところでもあります。

理解されていくのはそれだけではありません。

自分(私たち)は、過去、現在、未来というリニアな時間の流れゆく幻想を眺めていただけだったということも理解されていきます。

つまり、自分(私たち)は、本当は「今」という時間を超えたところにいる「永遠なるもの」だと分かってくるということです。


”毎日、毎分、刻一刻、あなたは恐怖の時間が愛の座を奪ったあの一瞬を再び生きているだけである。”(T-26.Ⅴ.13:1)

奇跡講座/中央アート出版社


自分を観察するならば、気づけば毎瞬のように原初の瞬間の「今」から彷徨い出て、過去、現在、未来というリニアな時間軸上のストーリーの中へと入り込んでいるのが自覚できるようになっていきます。

それによって、本当の自分(真のアイデンティティー)はいつも「今」にいることが思い出されていくようになります。

「今」とは、時間を超えたところであり、時間のない領域です。

そこから見るならば、すべてが「すでに起きた過去」です。


”私は過去だけを見ている。”(W-p1.7)

奇跡講座/中央アート出版社


私たち(真の自己)はそこからこの世界の夢を眺めているわけです。

ただし、この世界の中の私たちはそのことをすっかり忘れています。

ですから、私たちはコースの実践を通して、毎回、そのことを思い出していく訓練をしていくわけです。

その手段が「赦し」であり、「奇跡」なのだということです。

それは、心の<決断の主体>に戻って、自分が誰で?何をしているのか?ということを自覚していくということです。

それは、この時間と空間を超えたところにもともとからただ在り続けている真の自己(真のアイデンティティー)を思い出していく訓練であり、それと共に、真の知覚(ヴィジョン)を思い出していく訓練なわけです。

そして、私たちが覚えておかなければならないのは、私たちはいつのときか神のもと(わが家)に帰っていくのではなく、それは「今」なのだ、ということです。

たしかに、この時空の中では学びのプロセスというものがあります。

それは、学びと訓練を要するわけですが、それは「今この瞬間」へと還っていく道なのだということをけっして忘れないように肝に銘じておきましょう。


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