どのようにしてこの時空の旅の終焉を迎えることになるのか?
帰還の旅は自覚することからはじまる
「自分は分かっていない」と自覚するとき、それは学びのはじまりだといえます。
「自分は病んでいる」と自覚するとき、それは癒しのはじまりだといえます。
「自分は狂っている」と自覚するとき、それは正気へのはじまりだといえます。
「自分は間違っている」と自覚するとき、それは訂正(奇跡)のはじまりだといえます。
「自分は夢を見ている」と自覚するとき、それは目覚めのはじまりだといえます。
そう、
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)で何を学ぶのか?何のために学ぶのか?
というなら、
つまりは、上記のようなことを自覚していくため、と言うことができます。
その「自覚」こそが、この永遠なる時空の旅を終わるための第一歩、つまり、わが家への帰還の旅の第一歩となるということです。
自分はここ(この世界)で何をしているのか?
そのことを自覚/認識していくとき、それがあまりにも狂気で愚かであることを私たちは知ることになります。
そうなるとき、ようやく自分には導き手である教師(治癒者/ヒーラー)が必要であると分かるようになります。
その教師を、コースでは「聖霊」と呼んでいます。
聖霊とは、私たち誰もの中にある正気(正しい心)の部分のことを言います。
ただし、私たちは解離を起こしていて、その正気(正しい心/聖霊)の部分を忘れてしまっています。
そう、聖霊は常に私たちの傍らで、自分たちが彼を必要とする瞬間をただ静かに待っているといえます。
聖霊を教師として迎え入れる準備が整ったとき、それが「幸せな学習者」となっていくそのはじまりです。
そこから帰還への旅、つまり、学びの階梯を上っていくその旅がいよいよ実践的にはじまるといえます。
その階梯を上っていくならば、これまでとはまったくちがうまるで想像だにしなかった知覚(景観)がもたらされるようになっていきます。
そして、その知覚(景観)こそが本来の見方(真の知覚)であることを思い出すようになります。
このコースの学びは、コース自体すらをも超えていくところまで導かれていくことになるということを知っておくと良いでしょう
その学びの階梯は無限だということです。
なぜなら、その無限性こそが私たちが本来、備えているものだからです。
その無限性を体現していくとき、”この道程が消滅してそれと共に時間が終わる”(M-19.2:5-7)と、コースでは教えてくれています。
それは、時間の旅/時空の旅の終焉へと向かうことを意味します。
時間の旅が終わるところとは、時間が始まったところでもあります。
それが、いまここ、です。
そこは時間を超えたところです。
「いまここ」に戻るならば、過去も、未来も、すべてが同時の「今」であることが明らかになります。
「いまここ」に戻っていく訓練をしていくにつれて、世界が無(虚偽)であることが分かると共に、自分はどこにも行ってなかった、つまり、天国から一度も離れていなかった、ここが天国だと思い出すようになっていきます。
つまりは、帰還の旅とは、「いまここ」にいる自分を思い出す旅なのだと言い換えることができます。
それは、私たちがこれまでまったく見失っていた方向へと向かう旅です。
それが分かってくるとき、これまでどれだけまったく違ったところに向かって探究の旅をし続けてきたかが理解されます。
その旅は、「いまここ」「今この瞬間」へと還っていく旅だといえましょう。
コースは、その旅に出かける私たちの背中を押してくれるものであり、さらには、その旅をガイドしてくれるものであるといえます。
私たちは、この今も、終わりなき時間/時空の旅をし続けています。
スピリチュアルでは、それを「魂の旅」「輪廻転生」などと呼んでいます。
コースは、まさにその旅の終わりへと導いてくれているスピリチュアリティ(聖霊の道)であると言うことができるでしょう。
「時空の旅の終焉」とは、どういうものなのか?
「時空の旅の終焉」とは、いったいどういうものなのでしょう?
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