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#心を忘れた状態
ここは天国であり、同時に、ここは地獄の夢の中である
そこに知覚されるものが虚偽であるとわかる瞬間赦しの瞬間とはどのようなものなのか?
赦しの視点(ヴィジョン)の知覚とはどのようなものなのか?
というとき、
つい私たちは、それを崇高な愛に溢れる体験のようなものだと捉えがちになります。
たしかに、そうといえばそうですが、そのような言葉に私たちは騙されないようにしなければなりません。
実際には、「赦しの視点」「ヴィジョン」はもっとクリア(明瞭
無限の数の宇宙が存在するって本当?
私たちはたった一つの夢を見ているにすぎない「宇宙は人の数だけ無限に存在している。」
ノンデュアリストさんたちの中で、そのような表現をする方がおられます。
たしかに、一人一人が個人的に独自の宇宙の夢を見ている、というふうに見るならば、その通りだといえます。
仏教では、それを「三千大千世界」というような言い方をしたりします。
そこには無限の数の宇宙があるかのように見えるわけです。
ただし、そ
コースの学びが深まっていくとき、どのような知覚になっていくのか?
この世界に神聖なものなどないコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくとき、どのような知覚になっていくのか?
そのことについて書いてみたいと思います。
まず、コースの思考体系が根付いていくとき、この世界のもの、そして、この世界で起きていること、そのすべてが自分とは無関係ではなく、むしろ、自分に属するものというふうに知覚するようになっていくといえます。
そう、すべてが自分の心の中で
アルファでありオメガである、時間のはじまりであり時間の終わりでもある場所
心を忘れた状態から心を自覚した状態へ私たちは、自分が誰なのか?自分は何をしているのか?ということをまったく忘れた状態になっていると言うことができます。
それゆえに、私たちはその答えをさがして、この人生においてさまようわけです。
そのような状態を、ワプニック博士は「心を忘れた状態(マインドレスネス)」と呼んでいます。
ですから、コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して何をしているの
個別の「私」から、一なる心である「私たち」へ
私はいない私は肉体ではない。
もっといえば、「私」というものはいない。
「私」というものがない。
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくにつれて、そのことが体験的分かってくるようになります。
つまり、「私」というものも自分がでっち上げた想念でしかないと理解するようになっていくということです。
さらには、個別性、特別性、個人性というものが、いかに馬鹿げて狂った想念
自分はいない、それはつまり、自分は全一なるひとり子であるということ
「心を忘れた状態」から「心を自覚した状態」へ私たちは自分たちのアイデンティティーを忘れて、肉体の自分とすっかり同一化してしまった状態になっています。
それを、「心を忘れた状態(マインドレスネス)」と呼んでいます。
自分はこの世界の夢を見ている「心」なのだということをまったく忘れているわけです。
その「心」である自分を思い出していくための手段として、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)