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A Course in Miracles 学習&実践レポート

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『A Course in Miracles』(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、もりGが体験的に理解したこと、実際に修得していっているもの、その成果として体…
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#ワンネス

いついかなるときも愛は与えられている

いついかなるときも愛は与えられている

暇つぶしのためにこの時空間の幻想世界の中に居るのではない今も尚、その学びは深化し続けていると言うことができます。

言い換えるなら、この世界を知覚し続けているかぎり、その深化は留まることがないといえましょう。

ようするに、天国(実相)を反映した世界を知覚するようになるまでは、その深化は終わることがないということです。

この世界がそのように知覚されていないのであるならば、そのように知覚されるよう

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自と他の分離のない生き方

自と他の分離のない生き方

”together or not at all”という一元的な思考システムを修得するノンデュアリティのスピリチュアリティにおいて、「私はいない」という言い方をします。

「私はいない」とは、別の言い方をするなら、「すべてが自分である」ということと同じ意味だということを知っておくと良いでしょう。

つまりは、個別性、特別性がないということです。

というのも、私たちはそもそもがワンネス(一体性/全一

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何のために「赦し」をしていくのか、しっかりわきまえて実践していきましょう

何のために「赦し」をしていくのか、しっかりわきまえて実践していきましょう

「赦しの視点」「赦しのまなざし」とは赦しの視点とはいったいどのようなものなのでしょう?

それを、一言でいうなら、

We are all the same.
私たちすべては一緒(同じ)

というところからすべてを包含して見ている視点だと言うことができます。

それは、奇跡の第一原理である「奇跡に難しさの序列はない」に基づいた見方です。

そこから見るなら、「どれが正しくてどれが間違っている」とい

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私はどこにでも臨在している

私はどこにでも臨在している

I am everywhere.悟りの視点から見るならば、「私」というものはいません。

それが意味するのは、自分と思っている「自分」は非実在なのだということです。

そのことを真に理解するようになるとき、もちろん、外側に見えている他者の中にもパーソナリティ(人格)など無いのだということが分かってきます。

つまり、この世界には誰もいない、さらにいえば、この世界もないのだと。

そうなるとき、自分

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