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A Course in Miracles 学習&実践レポート

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『A Course in Miracles』(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、もりGが体験的に理解したこと、実際に修得していっているもの、その成果として体…
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2022年3月の記事一覧

コースの学びが深まっていくとき、どのような知覚になっていくのか?

コースの学びが深まっていくとき、どのような知覚になっていくのか?


この世界に神聖なものなどないコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくとき、どのような知覚になっていくのか?

そのことについて書いてみたいと思います。

まず、コースの思考体系が根付いていくとき、この世界のもの、そして、この世界で起きていること、そのすべてが自分とは無関係ではなく、むしろ、自分に属するものというふうに知覚するようになっていくといえます。

そう、すべてが自分の心の中で

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自我は霊性(スピリチュアリティ)すらも隠れ蓑にして自己を満たそうとする

自我は霊性(スピリチュアリティ)すらも隠れ蓑にして自己を満たそうとする

特別性を満たそうとする自我非二元や悟りについて語っている人のことを「ノンデュアリティ・スピーカー」というふうな呼び方をしますが、そんな彼らをあちらこちらで見かけられるようになったといえます。

時代の流れをみると、ずいぶんと変わったと感じるわけです。

20年前、10年前とは、まるで比になりません。

つまり、非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティも、ずいぶんとメジャーなスピリチュアリティ

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これは概念を弄ぶコースではなく、概念を実際に適用していくコースである

これは概念を弄ぶコースではなく、概念を実際に適用していくコースである


形而上学は形而上学にしかすぎないコース(奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、その形而上学(理論)を理解していくことは重要かつ必須であるということは言うまでもありません。

それが前提でということで、今回は書いてみようと思います。

これまでも、コース形而上学の理解がいかに重要か?ということについて述べてきました。

ただし、それが知的なレベルで扱われてしまうなら、コースの概念を弄ぶことにな

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自分を自由にするものと自分を幽閉するもの、その識別法を学ぶ

自分を自由にするものと自分を幽閉するもの、その識別法を学ぶ

その代償/代価について十分に理解することコース(奇跡のコース/奇跡講座)は、その学びが深まっていくほど、このコースはそう容易い霊性の道ではないということを実感するようになっていきます。

(むしろ、そういうことが分かってくることがコースの学びが進んでいる証拠だといえます。)

この道を歩んでいくには、多大な意欲と努力が必要だと分かってくるということです。

言い換えるなら、コースの学びが深まってい

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どのようにしてこの世界を超越していくのか?

どのようにしてこの世界を超越していくのか?

忘却のベールを超えて、この世界を超えていくまるで外側には世界が存在するかのように、私たちは知覚しています。

まるで外側に他者がいるかのように、私たちは知覚しています。

それが私たちが知覚している世界です。

それらの知覚がすべて、真の原因を隠すための影にすぎないと気づくまでは、ずっとそれらがリアルに知覚され続けます。

言い換えるなら、真の原因(真実)を思い出させないために作り出されたのがこの

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自分は誰で、どこから来て、どこに帰っていくのか?

自分は誰で、どこから来て、どこに帰っていくのか?


忘れてしまったものを再び思い出していくための霊性の道自分は誰で、自分はどこにいて、自分は何をしているのか?

私たちは、そのことをまったく自覚していない状態だといえます。

そして、この世界で経験していることが本当の現実だと信じ込んでいるのです。

リアル(現実/実相)が何なのかまったく分かってないのです。

まったく忘れてしまっています。

仏教では、そのことを「無智」、あるいは、「無明」と呼

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