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奇跡のコースの学習者です。学びや実践での個人的な解釈も含めた気づきを自由にアウトプット…

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奇跡のコースの学習者です。学びや実践での個人的な解釈も含めた気づきを自由にアウトプットしています。

最近の記事

自我の抵抗のスゴさ!

奇跡のコースを本格的に学び始めて 1年3か月 ちょっと学習状況を振り返ってみたいと 思います。 現実創造のメカニズムに興味があったわたしは 最初は、形而上学が面白すぎて 学ぶのが楽しくて楽しくて 仕方ない時期を経ました。 そこから、形而上学にプラスして実践に入り 赦しの実践を練習していました。 とにかく自分の恐れを見る。頑張って 突き進むのですが わたしたちが、隠し持っている恐れを 自我は実在すると信じているので その恐れたるや、本当に気が変になるんじゃないか

    • 何を信じているかに気づく

      日常の中で赦しの実践練習をしています。 仕事を終えた後に、いつも感じるモヤモヤ感 わたしの言い方で、相手の表情が曇った もっと別の言い方にすればよかったのか? こんな風に、自分を観察すると 自我(間違った心)は罪罪悪感恐れの投影として わたしや、他の人々という登場人物や その間でのやりとりの中で 頭脳が色々な思考をつくっているわけです。 でも、それって本当?と疑問視していきます。 例えば わたしの言い方で相手の顔が曇った そう考えているということは わたしの行動

      • 葛藤の源

        「権威の問題は、依然として 葛藤の唯一の源である。 自我とは神の父になりたいという 神の子の願望から作り出されたものだからである」 「奇跡講座・第11章・序文2.3」 わたしたちは、通常常に 無意識に、自我を選んでいます。 それは、神の子が神の父になりたいという 願望を抱き、それが叶ったという夢を 信じている状態です。 だから、わたしたちの日常の中でも 常に、これを投影した出来事が起こっています 例えば、自我はいつも、負けたくなくて 戦っています。 仕事で、誰より

        • 罪悪感を投影した夢

          仕事や学びや、仕事にまつわる会食の予定などを 詰め込んでいったら、 自分でも、嫌気がさすぐらいの 忙しさになってしまってました。 でも、これは今始まったことではなく 何年も、ずっと、こんな状態 どうして、こんなにいつも予定を詰め込んで 苦しくなってるのかな? 内観してみると 「忙しいのが嫌だ」と顕在意識では思っているけど 深いところでは、 わざと忙しくして 自分を苦しめていたと気づきました。 さらに、、、 そのもっと奥底にある潜在意識に 降りていくと 神から分離

        自我の抵抗のスゴさ!

          自我を直視しないで赦しの実践はできない

          いつも、朝おきた瞬間や 仕事がおわって一人になった時間に もわ~と出てくる なんだか気持ち悪い重苦しい感覚 「このままじゃいけない」 「何か間違えたことをしてしまったかも」 この、とにかく嫌な感覚こそが、 わたしたちが共通して隠し持っている 不快な感覚。 ここを、見ないで赦しの実践は 出来ないです。 ところが、人はみな誰もが この感覚を感じたくないから 普通は、無意識下におしこめて 見ない様にしています。 だから、まさか自分の中に こんな重苦しいものがあるなんて

          自我を直視しないで赦しの実践はできない

          あらゆる感情は原初の瞬間に味わったもの

          本当は神からの分離はありえないのに 神の子は小さな狂った考え抱き 「神から分離することは出来ない」という考えと 「神から分離することは出来る」 という2つの考えを持つようになりました。 それは聖霊の思考体系と 自我の思考体系のことです。 そして、決断の主体は 聖霊を拒否して、自我を選んだのですが その事を解離によって忘れてしまいました。 自我を自分が選んだという事が一番 思い出したくないところ。 わたしたちは、そのことをすっかり 忘れていますが あらゆる出来事

          あらゆる感情は原初の瞬間に味わったもの

          幸せでも辛くてもどちらも同じ

          分離がないということは 全部同じということ 幸せでも辛くてもどちらも同じと言われたら 分離の思考体系からみると 怒りが沸き起こったり、不快な気分になる ちょっといくらなんでもその考えって・・・・とつっこみを いれたくなる考え方です。 でも分離がないところから見ると やはり、 幸せでも辛くても、どちらも 同じという意味なんです。 個人的に、仕事が立て込んで 忙しくてイライラしている自分がいました。 このことをテーマに 心の自分に戻って、「自我(間違った心)」を ほりさ

          幸せでも辛くてもどちらも同じ

          目覚めるのは「肉体の自分」ではない

          「奇跡のコース」を学ぶとき とっても大切なのは わたしたちが、自分自身を自分と認識している その自分=「肉体の自分」が 目覚めていくのではない。という事です。 なんだかつい、そこを勘違いして 「肉体の自分」が目覚めていくというイメージを もってしまいがちです でも、「肉体の自分」というのは 神の子の夢の中の登場人物であり 本当の自分ではありません。 本当の自分は「肉体の自分」とは 全く関係がないところにいる。 という事を、理解しておかないと 「肉体の自分」が目覚め

          目覚めるのは「肉体の自分」ではない

          奇跡のコースの学びのシェア

          奇跡のコースの学びや実践しての気づきを 書き綴っていくことにしました。 わたしは、2021年9月から、もりGさんから 「奇跡のコース」を学ぶようになりました。 時間があるときは、ほぼ毎日学びを続けたり 実践をしたりする中で、この経験のプロセスや 気づきの軌跡を、文章に残していきたいと 思うようになり、書いていくことにしました。 「奇跡のコース」を学ぶときに ネットで色々検索して、色々なティーチャーの 動画や記事をよみました。 その中で、歪曲せず発信していると感じたのが

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