罪悪感を投影した夢


仕事や学びや、仕事にまつわる会食の予定などを
詰め込んでいったら、
自分でも、嫌気がさすぐらいの
忙しさになってしまってました。

でも、これは今始まったことではなく
何年も、ずっと、こんな状態

どうして、こんなにいつも予定を詰め込んで
苦しくなってるのかな?

内観してみると

「忙しいのが嫌だ」と顕在意識では思っているけど
深いところでは、
わざと忙しくして
自分を苦しめていたと気づきました。

さらに、、、

そのもっと奥底にある潜在意識に
降りていくと

神から分離して
神を裏切って
神の座を奪ったという妄想(夢)を信じている
自我が見えてきます。

自我は根底に常にある、
恐ろしい罪悪感を見たくないんです。


つまり、根源的な罪悪感を見たくないから
忙しくしていた。という事です。

そのカラクリが見えると

さっきまでの深刻さが消えて
正気にもどります。


「忙しいのは嫌だ!」とか
「予定を入れる自分をなんとかしなきゃ」とか
「明日の予定、もう行きたくないドタキャンしたい」とか
「これ以上予定をこなしたら、体調くずしちゃうかも」とか

色々な思考が出てきてるけど

全部、フェイク

神との分離の罪悪感を映し出した
夢をみているだけ。


だから、例えば忙しいのをやめようとして
予定をキャンセルしたところで、また
別の罪悪感の投影の夢を見続けるだけです。

そう思ったら、ちょっと、笑えてきました。


例えるなら
鏡にうつった自分にリップを塗ろうとして
鏡に直接リップを塗ろうとしているのと同じ

こんなおバカな事ってないよね。という事です(笑)


ああすれば、こうすれば
これが嫌・・・
思っている事全部丸ごと

投影です。

神から分離した「罪悪感」の投影です。


わたしたちは、
このカラクリがわからない限り


形をかえ、品をかえ、、、、目覚めない限り
エンドレスの夢を見続けることになります。


でも、このカラクリがわかれば


起こっている現象全て
そこに、何一つ問題はなかったという
軽やかな平安を感じることができます。

これが、咎めずみてる視点です。




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