自我を直視しないで赦しの実践はできない

いつも、朝おきた瞬間や
仕事がおわって一人になった時間に

もわ~と出てくる
なんだか気持ち悪い重苦しい感覚

「このままじゃいけない」
「何か間違えたことをしてしまったかも」

この、とにかく嫌な感覚こそが、
わたしたちが共通して隠し持っている
不快な感覚。

ここを、見ないで赦しの実践は
出来ないです。

ところが、人はみな誰もが

この感覚を感じたくないから
普通は、無意識下におしこめて
見ない様にしています。


だから、まさか自分の中に
こんな重苦しいものがあるなんて

ほとんどの人は気づいてないかもしれません。


でも、何か困ったことが起こったとき
例えば

体調が悪くなった
仕事でミスをした
友達に裏切られた
お金を失ってしまった・・・

など、嫌な事が起こったときは
隠しきれなくなってそれが
表にでてきます。
そういう時は赦しの実践のチャンス

上手くいってる時は、
無意識化に隠されているので
気づかないでいられます。


赦しの実践を本気でやるとしたら

自我(間違った心)を直視することは
避けられないです。
(でも多くの人はしんどすぎて
自分でも自覚がないまま、直視しません
それこそが、自我の力動です)

なぜかというと、自我を直視しないと
聖霊を選びなおせないからです。

自我を直視して初めて
支離滅裂で、明らかにオカシイ
という事を、深く実感できるからです。

そのときはじめて
「こんな支離滅裂さを信じてるなんて、
全部間違えていたんだ!妄想だったんだ!」と
気づけるのです。

間違えていた事に気づけないと
訂正は出来ない。聖霊を選ぶ事は出来ない
というわけです。

自我の支離滅裂な思考体験の中で
自我を直視しないで
他の選択肢’=聖霊を選ぶことなんて

絶対に出来ない。という事を
自分自身が、しっかり自覚する必要があります。

重苦しい感覚
たとえば、
何か悪い事をしてしまったような感覚
この先望まない事が起こるのではという恐れ
誰かに咎められるかもしれないので自己防衛しなきゃ

色々なパターンはありますが

その感覚があることを、まずは正直に
見てあげるって本当に大切です。

どれも、ネガティブで深いな感覚なので
正直、慣れるまでは、相当つらいです。

わたしも、そうでした。というか
今も不快すぎて、本当勘弁してほしいと
思う感覚がでてきます。

でも、それこそが「自我」です。
だからそれを直視します。

そして、それを一歩引いたところから
咎めず見る練習をするんです。


さらに、その不快な感覚と戦おうとするのでなく
何もしないで、そのままにする。

これが、本当に難しい!けど
この先に、赦しがおこります。

あれ?全部自我が作った偽物だったんだ。
吹けば飛ぶようなものを、信じてたんだ!

それに気づいた時
もう、本当に軽やかで、笑えちゃうぐらい
平安・平和の中にいます。

まだ、わたし自身、赦しが成功することは、
数少ないのですが、うまくいったときの
あの、軽やかさ、平安を知ると

やっぱりこれがいい!
今までの平安はまがい物だったとわかります。

不快な感覚こそ、自我を直視するチャンス!
赦しは自我を直視しないと絶対にできません
だから、
とにかく、日々練習するのみ


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