原始人、同窓会で己(おのれ)の異常さを知る
コロナ禍が2020年に始まり、三密が忌避されるようになり3年が経過。
コロナも第5類に格下げとなり、マスクをしない人も多くなってきた2023年12月。
久々に中学の旧友数名と 同窓会的に会う。
実は断酒をしてから 中学時代の旧友と会うのは初めてであった。
以前の私は「人と会う時には、酒がないとテンションが上がらなくってね」を口癖にしていた。
しかし、結局のところ 「人と会う事を理由に 集まって酒が飲みたい」だけだったのかもしれない。
一人で飲む酒より、集まって飲む酒のほうが やはり楽しい。
そこで有益な話ができなくても 「集まって酒が飲めた」ということで満足していた。
今回、私は素面(しらふ)で参加したのだが 同窓会のメンバもほとんど酒を呑まないメンバーであることを改めて知る。
と、いうより 私がいかに大酒飲みであったのかを再認識させられた。
5名の内、私を含め2名がノンアルコール。3名は飲酒するが ビールを各自、3杯程度。飲み放題にするか悩む人はいなかった。
そして2.5時間 居座る。
私は、この時 たったビール3杯って…みんな修行僧なのか!?と思った。
今の私は 酒を一切飲まないが、酒を飲んでいた頃は もっと呑まなければ酔えなかった(ジョッキビールで言えば 6~8杯は必要だったと思う)。
そして、酔えなければ 集まる【意味がない】と考えていたくらいである。
今回は 飲み会なのに、飲み放題を選ばないということに驚いた。
なお、同窓会での話の内容は、昔話が8割。
みんな業種が違うから 昔話に落ち着く。
初老のおじさんばかりなので 新しい話題を互いに模索するより 昔話をしていたほうが 手っ取り早い。「とりあえず、ビール」的な手軽さがある。
新しい話題は 相手がどの程度まで知っているのかも測りながら会話をしなければならず手探り状態でのスタートとなるので 疲れもする。
個人的には 新しい価値観などを発見するほうが好きなのだが。
同年代が、今この時代をどう感じ、どう生きているのか、そんな事を聞ければと思っていた。
ただ、居酒屋という場所では そんな話をするには騒がしすぎるというのもある。
同じ「酒を飲む」にしても 一般的な居酒屋で呑むのか、個室居酒屋で呑むのか、宅飲みにするのかで コミニケーションの質は大きく変わると思う。
個人的には宅飲みのほうが 良質なコミニケーションが取れると思うのだが、いかんせん、場所がないし そこまでの仲でもない。
地元にいるメンバは全て家族持ちなので 誰かの家を借りるというのは正直気が引けるし、家主本人は 自分の家なので 逆に気が休まらないだろう(そして全員、奥方に気を遣わねばならない。
いっそのこと、会議室などを借り切ってケータリングなどで料理を注文し、酒はスーパーで買ってくるというのも面白い気がする。
ただ、私はもう 酒を飲むことができない立場なのでこの「素晴らしいアイディア」を実践することはないだろう。
では、酒を飲んでいた頃にこのアイディアを思いつくかと言うと、その可能性は極めて薄い。なぜなら酒を飲んでいる頃は「酒を呑むために集まることができれば満足」していたし、それ以上は考えることができなかった。
人生とはなかなか上手くいかないものだな、と苦笑する。
なお、この「素晴らしいアイディア」を現実化するため、もう一度 アルコールを呑む生活に戻る度胸もないのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?