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「母さん、飲みに行こうよ」

社会人1年目、仕事帰りに父の行きつけの居酒屋で、初めて2人で飲んだ。父を大学の頃から知っているという店主夫妻が、くしゃっとした笑顔で嬉しそうに話しかけてくれたのを、昨日のことのように覚えている。父はビールをジョッキで注文し、私はというと、ジョッキじゃ飲みきれないかも・・・なんて考えながら、小さいグラスと瓶ビールを一本、お願いした。父が自宅で晩酌する姿は何度も見ていたが、私は自宅ではあまりお酒を飲まない。だから、父と初めて2人で交わした《乾杯》は、なんだか一人前の大人に近づいた合図のように思えていた。

そのお店は、父が大学生の頃からやっているそうで、あの頃はああだったこうだったと楽しそうに話す父がなんだかいつもより若く見えた。結婚前には母も連れて飲みに来ていたようで、店主が母のことを「新妻ちゃんは元気にしてるの」なんて聞くのがちょっとくすぐったかった。娘の私がもう成人して、これでもいっちょまえに社会人やってるってのに、母さん、新妻だってさ。飲みながらこっそり母にLINEした。

《今あの店に父さんと来とってさ、母さん新妻って呼ばれとるよ》
《新妻って。笑 懐かしい~!母さんも行きたい!》
《今度家族皆でこよーや!皆で飲むから電車で行かんとねぇ》

社会人になり仕事のつらさを目の当たりにした時期だったこともあってか、私は改めて父のすごさを知った。父は、自宅に一切仕事の話を持ち込まないのだ。大変なことだってあっただろうに、娘の私は、父が仕事の愚痴を言っている姿を見たことがない。映画を見ていたり、いっしょにゲームをしたり、休みの日には公園で一緒に走り回ったり。私の記憶にある父はそんな姿ばかりだった。

飲みなれないビールをグッと喉の奥に流しこみながら私は、仕事が大変だ、失敗ばかりでつらい、と思わず愚痴をこぼした。父は何度もうなずきながら話を聞いてくれた。そして、「父さんもこんな経験があってな」と、新卒時代の父の話や、大変だったことを少しだけ聞かせてくれた。そっか、父さんも新卒から勤めあげて、今の父さんなんだもんな。そりゃ新卒の私がすぐ完璧になんてなれんわ。こりゃがんばるしかないわ。

そうやってよしっと気合をいれる私に、「ほら、お前の味覚だったら絶対これ好きだと思うぞ」と言って注文してくれた春菊スープは、まさに絶品だった。さすが、父親似の私の味覚をよく理解している。お酒が進む。瓶ビールはとっくに一本空いていたし、父は2杯目のジョッキがもうすぐ空になりそうだった。

何度も父と乾杯をした。そして語った。そのたびに、会社員としての父が、学生時代の父が、私の知っている父以外の父が見えてきた。そのすべての要素が今の父を作ってるんだよなぁ、と実感した。仕事を始めて、その苦労を少しでも知ったからこそ、父の背中の大きさが理解できた気がした。

それから、仕事の都合がつけば何度か一緒に飲みに行った。そのたびに私たちは、お互いの仕事での健闘をたたえ、ビールで乾杯した。杯を乾かすごとに、ビールは私の体になじんでいった。

社会人4年目、転勤で一人、大阪へやってきた。その年の冬、《好きなアイドルのライブがあるから泊めてくれ》と、2人の妹が大阪まで遊びにくることになった。「仕事終わりに合流するから、晩ご飯はどっか外で食べるって感じでもいい?」と問う私に、「せっかくだから居酒屋行こうよ!飲もう!」という妹たち。

・・・あ、そっか。もうそんな年になるのか。私たち。


2つ下の妹は、お調子者のムードメーカーだ。末の妹にちょっかいをかけては「またいらんことして!」と母に呆れられてみたり、その妹すらも巻き込んで、なにやら謎のダンスで私の帰りを出迎えてくれたりする。よく腹筋を崩壊させられた。

6つ下の妹は、甘え上手でマイペースなおしゃれさん。真ん中の妹からのちょっかいはクールに受け流しつつ、毎朝早起きしてストレートアイロンをかける姿は、朝が弱い私からすると尊敬に値する。

両親は、私に「お姉ちゃんだから」と我慢をさせるようなことを決してしなかった。だから私も、妹たちに変に嫉妬することもなく、おかげで大きな喧嘩をすることもなくここまで育ってきた。


私にとって2人の妹は守るべき存在で、困っていれば姉として力を貸してあげるべき存在だった。

「勉強がわからない!」といえばとことん教えた。2人とも、夏休みに出されるような創作系の宿題が苦手で、やれポスターのアイディアが思いつかないだの、作曲の宿題が難しいだの、と毎年のように泣きついてきた。そのたびに口では「仕方ないなぁ」なんていいつつも、助け船を出していた。私の創作好きは案外年季入ってるな、と今これを書きながら考えている。

夏になれば、妹たちに浴衣を着つけるのは、姉の私の役目だった。

自分で浴衣を着られるようになりたいと、母方のおばあちゃんに弟子入りして以来、母は妹たちの着付けを私に任せた。母は「あんまり得意じゃないのよねぇ」なんて笑って、ばあちゃんは「あんたの母さんはあまり興味がなかったからねぇ」と嬉しそうに着付けを教えてくれた。妹たちも自分で着付け覚えればいいのに、って思ったけど、「姉ちゃんが着せてくれるからいい!」なんて満開の笑顔が2輪咲いてしまっては、姉として完璧に着付けを覚えなくては・・・!と使命感に燃えるよりほかなかった。

夏祭り当日。苦しくないかと声をかけながら、慣れない手つきで慎重に着付けをしていく。なんとか浴衣を着せたら、今日だけ特別ヘアメイク。と言ってもそんなに器用じゃないから難しいアレンジはできない。この日のためにこっそりお小遣いで買っておいたヘアアクセで不器用さをごまかす。仕上げに色付きリップを塗って完成。これを2人同時進行でやっていたのだから、当時の私、結構がんばってたなぁなんて思う。メイクは年々増えてった。色付きリップ、次の年はチーク、マスカラも少しだけ。楽しそうに出かけていく妹たちを見送るのが好きだった。

ちなみに冬時期には、バレンタインデーの友チョコづくりに駆り出される。毎年大量生産が必要なため、一人では作業が間に合わないのだ。1週間前くらいから姉の予定の争奪戦が始まり、「ここ空けといて!チョコ作るから!!」というやりとりも毎年恒例に。これにも母は「母さん食べる専門だから~」と出来上がったお菓子をつまんでは楽しそうに笑っていた。父も出来上がったお菓子を見て「これおとんも食べていいの?」なんてニコニコしてた。満足そうにラッピングをする妹たちを横目に、やれやれ、なんて大人ぶっていた私がいた。


そんな妹たちが、九州から大阪へ遊びにくるという。”好きな劇団の舞台があるから!”と全国を飛び回る私と違って、あまり地元から離れたがらない2人が、2人だけで大阪に来るという。迷わないかな、ちゃんとたどり着けるかな、と、心配で仕事も手につかなかった。バタバタと仕事を定時で片付け、そわそわしながら駅まで迎えに行った。

待ち合わせ場所には、しっかりおしゃれをして随分ときれいになった2人の女性が立っていた。(シスコンかと思われそうですがほんとにね、綺麗だったの)

居酒屋に入り、メニューを渡す。私と真ん中の妹はビールを注文し、成人して間もない末の妹はまだ飲みなれないからとカシスオレンジを注文した。その日初めて、3姉妹だけで乾杯をした。

最近の近況やら、ハマっているアイドルやら、はたまた仕事の話やら。飛び交う会話を耳にいれながら、あぁ皆ちゃんと大人になっていくんだ、としみじみ感じた。お調子者の妹はすでに働き始めて、しっかり者のOLさんになっていたし、末の妹も大学の勉強に部活にバイトに、と社会に出て頑張っている。

自宅にいる姿しか見る機会がなかったから、いつまで経っても「妹」でしかなかったんだけど。いや今も妹であることに変わりはないんだけど。当時私が悩んでいたことをぽろっとこぼしたときに、ビシバシと適切なアドバイスを飛ばしてくれた妹たちをみて、「あぁちゃんと人って大きくなるんだ」なんて少しだけ泣きそうになった。妹たちとの乾杯は、人の成長を感じさせてくれるきっかけだった。

飲みながら写真を撮って、3人で飲んでるよ~と家族LINEに報告した。

「楽しんでるね~!気を付けて帰りなさいよ!」と母から返事がきていた。

社会人6年目・・・だったはずの今。昨年退職し、今は東京で暮らしている。恋人さんと暮らす中で毎日家事をこなしているが、これを日々遂行していた母のありがたさを改めて痛感する。一人暮らしのときはわりと適当だったのだけど、誰かと暮らすとなるとそうもいかない。いつか母への思いもnoteに書きたいなぁなんて思っていた。

今回、「乾杯」というテーマで何を書こうかと考えた時、最初に思いついたのは本記事でも登場した妹たちのことだった。いつまでたっても幼い妹だと思っていたのに、いつの間にか大きくなって・・・と書き綴っている中で、「あれ?」と気が付いてしまった。


母と2人で乾杯したことがないのだ。父とも、妹たちともしたのに。


自宅で皆で飲んでいて、缶ビールで乾杯!というのはあったかもしれない。でもそういうとき、母は乾杯をしたあとすぐに家事に戻ってしまう。あくまでも家では「母」なのだ。

居酒屋で乾杯した父は学生のようであったり、一会社員だったりした。同じように乾杯した妹たちはそれぞれが一人の自立した女性であった。でも母は、今でも母なのだ。

家族で行きたいね、といった居酒屋も結局行けてはいない。いつか行けるだろう、と思っていたからすぐに実行しなかった。大阪に転勤しても、退職して東京に来ても、まぁいつか行けるだろう、と心のどこかで思っていた。私の中で母は「母」だったんだ。だからこの記事を書くまで、母と2人で乾杯したことがない事実さえ、思い出すことがなかったのかもしれない。


今、私は、誰よりも母さんと飲みに行きたい。自宅だとどうしても家庭の役割が出てきてしまうから、できれば居酒屋で。ひとりの大人と大人として。母さんの好きなお酒やつまみをいっぱい注文して、乾杯がしたい。ちゃんと働いてた時の貯金あるから、私がおごるんだ。

母として大変だったこと、たくさん聞かせてほしい。結婚してからの出来事でもいいよ、学生時代のことなんかも知りたい。新妻時代のエピソードとかないんかな?お酒に強い母さんのことやから、少し飲んだくらいじゃ酔わんやろうけど。ちゃんと私がうちまで連れて帰るから、なんも気にせんで飲んで笑ってほしい。何度でも乾杯、付き合うから。1人の人として母さんと、一緒に乾杯がしたいよ。

東京から九州まで、乾杯するためだけに帰るには、今のご時世ちょっと難しいんやけどさ。絶対母さん飲みに連れてくからさ。


それまでずっと元気でおってな。


母さんと飲みに行ったら、今度こそ家族皆であの居酒屋行こう。

家族で乾杯できる日が来るまで、東京で頑張ってるから。

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