あちこ

ルサンチマンの解放。

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最近の記事

お別れ

皆様どうかすこやかに。 しあわせに生きていてくださいませ。 きっと、決まっていたのでしょう。 これが運命というものでしょう。 さようなら。 この命いっぱいの愛を込めて。

    • 私の神様たち

      チバユウスケが死んだ。 10代の多感な頃、私はリストカットをしていた。 今でも左腕にはその傷跡が生々しく残ってしまっている。 死んじゃいたい、痛い思いをしたい、そんなことばかり考えていた私が、唯一誰かに認められたのが歌だった。 中学生でバンドを始めた私は、音楽に救われて音楽と共に生きてきた。 歌っている時だけは、生きていることを赦されているような気がした。 悲しい時、寂しい時、ヘッドフォンで何度も何度もチバユウスケの歌を聴いた。 男の人に生まれて、こんなかっこいい声で歌い

      • 彷徨い続ける魂

        私は食べることに興味がない。 興味がないというか、幼少期両親から食べるところを卑しいと言われてから、人前で食べることが苦手になった、というのが正しいだろう。 今年の初めにうつの薬をやめ、体重がどんどん落ちていった。 ハードな運動と発達障害の薬で、22キロ痩せた。 目に見えて数字が見えるのが楽しかった。 こんなに分かりやすく、自分の行動が結果になることが嬉しかった。 結果、今の私は脂質や糖質を避け、カロリーを気にしながら運動を続け、 パートナーに痩せ過ぎだと心配される体に

        • 大切な人を亡くすということ

          私には、今でも仲良くしている高校時代の同級生たちがいる。 学生時代の友人は彼女たちだけだ。 そのうちの2人は25歳と27歳で自死している。 その時の記憶は、今でも真空保存されたままである。 彼女たちの笑顔も涙も、手を伸ばせばすぐに触れることが出来そうなくらい、彼女たちがもういないという事実を受け止められないまま10年以上生きてきた。 私は今でも、ふとした時に希死念慮に襲われる。 そういった時、いつも考えることがある。 私たちが感じた悲しみや苦しみを、もう一度彼女たちに与

          謙虚であること

          パートナーが転職して2ヶ月が経った。 帰宅した彼のお弁当と水筒を洗うのが私の日課となっている。 その間、彼は私の背後をうろうろしながら、その日あった出来事を延々と話す。 彼は、会社の様々な人をよく観察している。 そして、その人の良いところを必ず1つは見つけて話してくれる。 パートナーは同じ業界で30年仕事をし、以前勤めていた会社では社会的にも認められる地位にいた。 大企業で出世街道まっしぐらの人だった。 今日、寝る前に彼がぽつりと言った。 「俺、自惚れてたのかもしれない

          謙虚であること

          夜の音

          パートナーが静かに寝息をたてていた。 その隣に潜り込んだ私は、彼にぴたりとくっついて、その胸が規則的に上下に動くのを見ていた。 ふと、思っていたことが口を衝いて出た。 私だけのあなたでいて。 ずっとどこにもいかないで。 私をひとりにしないで。 それは掠れた小さな声であったが、彼は目を覚まして私の頭を撫でた。 そしてこう言った。 「また、卑屈になってる。」 私はどうやら卑屈になりがちな人間のようだ。 抱きしめられるだけでは足りない。 私のことだけを愛しているのだと言っ

          あの夜

          睡眠薬とアルコールで酩酊した状態で、私は食器を洗っていた。 洗剤で手が滑って、パートナーと旅先で買ったお揃いのグラスを落として割ってしまった。 その瞬間、私の中にあるヘドロのような塊も音を立てて割れた。 泡に塗れた手のままその場に蹲って、大きな声で泣いた。 私の泣き声に気が付いたパートナーがキッチンに来て、子供みたいに泣きじゃくる私を抱きしめながら「大丈夫、大丈夫。」と言っていた。 彼は、割れたグラスの破片で手を切って、血を流したまま私を抱きしめていた。 その後、彼は割

          食べられないこと

          キッチンから料理をする音が聞こえる。 私は極端な偏食なため、食べられるものが非常に少ない。 同居人は私が食べるか否かを確認せずに毎日食事を作る。 大抵のものは私の口には入らない。 たくさんの食材が混ざった料理が苦手だ。 炭水化物が口内の唾液により分解されていく感覚が苦手だ。 そもそも咀嚼が苦手だ。 私は、食べることに対する苦手意識が強い。 キッチンで何かを作る音が聞こえてくると、とても苦しい気持ちになる。 一口でいいから食べなさい、と言われることが目に見えている。 私は

          食べられないこと

          眠る

          私は物心ついた頃から眠ることが苦手だ。 眠ることが怖かった。 布団に潜り込んでから2時間は眠れないことが当たり前だった。 夜になると、両親の言い争う声が聞こえる。 マンションの薄い扉越しでは、会話の内容がほとんど聞こえてきていた。 両親が言い争う原因は決まって私のことだった。 母は私を愛せなかった。 父もまた同様だった。 両親は私の厄介な性質を互いに押し付け、罵り合っていた。 いい学校に入れてやったのに。 父は決まってそう言った。 私はそんなこと望んでいなかった。

          解き放つということ

          晴れた日だった。 パートナーと私はその何ヶ月か前から家に閉じこもっていた。 仕事を辞め、逃げるようにして遠いところへ住まいを構えた。 しかし、以前その土地で仕事をしていたパートナーは誰かに会うことを極端に恐れ、私もパートナー以外の人間と会うことが恐ろしかったので、ずっと2人きりでひっそりと暮らしていた。 しあわせだった。 しかしある夜、私は大量の睡眠薬と抗不安薬を飲み、腕の大きな血管を思い切り切った。 ぼたぼたと血が流れるリビングの床を見ながら、涙が止まらなくなった。

          解き放つということ

          愛されるということ

          一緒に暮らしているパートナーに、君は俺の言うことを信じようとする気がないんだろうね、と言われた。 今日、私はひどく憔悴していた。 嫌な夢をみたせいもあったが、自分の無力さや焦燥感に追い立てられており、強い希死念慮に身も心も灼かれていた。 私のパートナーは、いつも私が死にたいと言うとじゃあ一緒に死のう、と言う。 生きるのも死ぬのも一緒だよ、と。 病める時もすこやかなる時も一緒なのだと。 しかし、私にはすこやかなる時があまりない。 私はそんな自分に半ば呆れている。 なぜ、す

          愛されるということ

          私の音楽

          私はずっと歌を歌って生きてきました。 ひとりぼっちの私はひとりで暮らす家で仕事以外はギターを弾き、曲を作り、時々ライブをして人前で歌う。 それが、私のライフワークでした。 先日、パートナーから「なんで音楽やめたの」と聞かれ、私はそのことについて考えていました。 音楽は私にとって、鬱屈した自分の中にあるヘドロのようなものを吐き出す作業でした。 また、ライブで歌を歌うことは、たくさんの人から賞賛を得られ、承認欲求の満たされる行為でした。 私は、歌っている自分だけは生きていて

          眠れない夜

          うまく眠ることのできない時、私は夜の音を聴いています。 北関東の田舎は、時々通る車の音以外は静かです。 夜の音に飽きたら、玄関の外に出て、夜の匂いを吸い込みます。 夜は孤独な自分の輪郭がくっきりとして、人間は皆ひとりなのだと思えて安心します。 隣で眠る私の大切な人。 あなたはどんな夢を見ていますか。 少し、手をつないでも、いいですか。

          眠れない夜

          その時

          私は幼い頃より、死だけが救済だと思って生きてきました。 いつだって私はひとりです。 人間はみんなひとりです。 夜は孤独がその輪郭を鮮明にさせます。 ここにこうして文章を書くことは、私にとって死なないための作業なのです。 早く、その時が来ることを願い続けています。 そっと、この苦しみや悲しみが終わるその時を。

          加虐的な夢の話

          私は定期的に悍ましいほど加虐的な夢を見ます。 相手はいつも母です。 今日も、母に対してぞっとするほどの暴力を振るう夢を見ました。 目覚めは底のないほどの憂鬱さと母に対する疎ましさに塗れていて、体調もひどく悪いものでした。 私は食べることと眠ることが苦手です。 幼い頃、食事をする私を見て、両親は汚らしい、あさましい、とよく言ったのです。 それ以来、私は人前で何かを食べる行為に恐怖を覚えてしまい、今でも誰かと食事をすることが苦手です。 今日は、夢の冒頭で母に食べられないほ

          加虐的な夢の話

          カナリヤ

          私がパートナーと出会った頃、私たちは上司と部下でした。 仕事はとても忙しく、しかしそれは充実した日々でした。 それから少しの時間が経ち、私は鬱になり休職をしてその後仕事を辞めました。 パートナーも諸事情により仕事をやめました。 私たちは世間から放り出されたのです。 まるで、この世界に2人きりになってしまったような気持ちでした。 仕事をする人、学校へ通う人、幸せそうな家族たち。 そんな人々を横目に見ながら、私たちは、ただ生きていました。 ただ、生きてきました。 何度も、どう