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愛されるということ

一緒に暮らしているパートナーに、君は俺の言うことを信じようとする気がないんだろうね、と言われた。

今日、私はひどく憔悴していた。
嫌な夢をみたせいもあったが、自分の無力さや焦燥感に追い立てられており、強い希死念慮に身も心も灼かれていた。

私のパートナーは、いつも私が死にたいと言うとじゃあ一緒に死のう、と言う。
生きるのも死ぬのも一緒だよ、と。
病める時もすこやかなる時も一緒なのだと。
しかし、私にはすこやかなる時があまりない。

私はそんな自分に半ば呆れている。
なぜ、すこやかでいることがこんなに難しいのか。
みんな様々な事情を抱えながらも生きているというのに、私はなぜそれが出来ないのか。
とてもやるせない気持ちになる。
そして、負のループにどぼんと落ちていく。
時々息継ぎのように顔を出して光を求めたりもするのだが、長くは続かない。

そうやって生きることしかできない自分に、いい加減辟易としている。

しかし、パートナーは私を諦めようとはしてくれない。
こんな世界の隅でいじけている私のことなど放っておいてくれたらいいのに。
その方が彼もより良い人生を送ることができるのに。
それでも、私が前を向いて生きることを、彼は諦めたりしない。

繋がれた手の力は強く、私はその勢いのまま今まで生かされてきてしまった。
何度もその手を振り解こうとしたのだが、その決意と力はとても強く、今日まで生きながらえてしまった。

その実、ずっとどうすれば死ねるのか、ということばかり考えている。

私たちは、他人の死しか経験したことがない。
自分の死を体験した人などいない。
しかし、私は死だけが救済であると信じてやまない。
隣にいるパートナーがそれを阻むだけのことだ。

ひどく憔悴している私は、ぼうっとした頭で、これが愛されるということなのか、と考えていた。

彼は、私を愛しているから生かしているのだろうか。

それとも、


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