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夏の日の思い出(短編)

 月に雲が被さってやたらと暗い夜だった。コンビニに行かなければ涼しさすら得れない自分の経済力に嫌気が刺す、残暑のひどい夜中1時。身体を十分に冷やさないと上手く寝付けないから、1時のコンビニはもはや日課になってしまった。レジにいる外国人は胸にジョイと書かれた名札を付けている。片言のイラッシャイマセを3日連続で聞いている。ジョイよ、そろそろ休みを貰った方がいいんじゃないかと思いつつ、何かを買うわけでもないのに店内を彷徨く。店員が日本人なら通報されてたかもな、僕ならそうするだろうし。コンビニで時間が経つのはいつもより遅くて、身体が冷えるまでは時間がかかる。しかも、コンビニに向かう時は身体が熱を持っている、それも小1時間日光に当てられた自転車のサドルくらい熱い。だから、冷房の風が1番当たる雑誌コーナーで立ち読みをする。それなりに面白い記事や漫画を読めるし時間効率もいい。それと、出入り口に近いからこんな夜中にコンビニへ来る人間を観察できる。嫌な趣味だと自分でも思うけれど背に腹はかえられぬ。

 金髪の男が入ってきた。20代でおそらく大学生だろう。かなり細い体型と日焼け具合と汚い金髪がまるでマッチしていない、平成のギャル男みたいだ。ギャル男は割引シールの貼られた弁当をひとつと2Lの水を1本、カゴに入れてレジに向かう。ジョイの片言のドウゾーが可愛らしい。金髪の男が150番を1つ欲した。セブンスターだった。僕はタバコがどうも苦手だ。健康に悪いとか、匂いが気になるとかそういう訳ではなくて、単純に気管が受け付けないようなんだ。ハタチになった時に何度か吸ってみたが定着しなかった。病人くらいに咽せてしまうし、痰がひどく絡む。だから、タバコは吸わないようにしている。でも、いいなと思う。喫煙者の多くはタバコを吸うことでストレスが減ると言うし、様になってる姿を見ると素直に格好いいなと思う。願うことなら僕もタバコを格好よく吸ってストレスを減らして、煙に巻かれていたい。まぁ、最近は喫煙者の肩身が狭いらしいから、肩幅の広い僕には縁のない話だろう。平成のギャル男は既に会計を済ませて、コンビニの駐車場でセブンスターに火をつけていた。とても美味しそうに吸っていたけれど、どこか寂しさを感じてしまった。根本が黒になってきている金髪が、彼をギャル男じゃなくそうと必死になっているように見えた。きっと平成のギャル男にも悩みの一つや二つがあるのだろう。ひとしきりタバコを吸い切ると火種を踵で踏みつけた。恨みでもあるみたいにグリグリと地面に押し付けるその姿はまるでタバコのせいでストレスを溜めているみたいだよ。

 その後も20分くらい雑誌を読み続けていたけれど、誰も客は来なかった。ジョイも裏に入ってしまってイビキが聞こえてくる。だいぶ身体も冷やすことができたし、帰って寝ようとコンビニを出た。なるべく冷えた状態で寝たいから急ぎたいのだけれど、急いだら僕の筋肉達が正しく熱を発してしまうからゆっくり歩くしかない。正しさって時として正しくないよなと、くだらないことを考えつつ閑寂な住宅街をいく。深夜2時ともなると薄気味悪いくらいに静かで、そこかしこで虫の音が聞こえてくる。暑さに拍車がかからない鳴き声で良かったと虫達に感謝していると、アパートの壁に青白い大きな蛾がいることに気がつく。それは、図鑑でしかみたことのない大きさと鮮やかさを兼ね備えていた。この辺では見ることはなかったから、見間違えかと思って目を擦ったけれど、どうやら本物らしい。しかし、どこかで見たことがある。なんて名前だっけな、確か、、、

「オオミズアオ!」
大きな声に驚いて振り返ると、一本の街路樹を指差す菜葉(なつは)がいた。指先には1匹の大きな蛾。

「この子ね、オオミズアオって言うの!幼虫がね、桜の葉とかを好むから意外と住宅街とかにもいるんだって。こんなに大きくて綺麗な蛾が見れるなんてついてるね。」
オオミズアオとかいう神々しい名前のその蛾はたしかに美しい。ボディが青白い色をしていて形もイチョウの葉のようだった。

「本当だ、大きいし、初めて見た。」

「この子はさ、実は幸せを運ぶって言われてるんだよ。」

「そうなの?蛾にそんなイメージはないけれど。」

「だってね、この子ね成虫になってから1週間しか生きれないの、ご飯を食べないから。しかもこの綺麗な青色のせいで目立つから鳥さん達にすぐ見つかって食べられちゃうの。だから生きてる状態で見れるのは珍しくてね、それで見ると幸運を運ぶって言われてるんだよ。」
聞いてもない説明を嬉々としてしてくれた菜葉はそのオオミズアオから目を逸らすことなく、口だけを動かしている。

「それって幸運の配達ミスとかないの?」
適当に返事をしたら、菜葉はそれを無視した。

「でも見て。可哀想に、傷だらけだぁ。たくさん配達したのかなぁ。」
羽は所々切れていて足も2対しかない。おそらくこんな住宅街に来てしまったせいで鳩や烏に襲われたのだろう。触覚をモゾモゾと動かしているけれど、飛び立てるような元気は無さそうに見えた。

「ほんとだね、ボロボロじゃないか。この木に止まるのも精一杯って感じだ。」
そう返したけれど、僕は菜葉の横顔ばかり見ていてオオミズアオのことなんて全然見てやいなかった。

「でもね、私に幸せを運んでくれてるのはいつも君だよ、ありがとう。」
横顔に見惚れていると急に視線が僕に向けられてハッとする。満面の笑みにやられていると、オオミズアオがふわっと浮いて地面に落ちた。

「「あっ」」 2人とも視線を地面に落とす。

「落ちちゃった。」
そう言って菜葉は仰向けになったオオミズアオに落ちていた木の棒を差し伸べて捕まらせ、近くの茂みの上にそっと置いた。

「私達、幸せ奪っちゃったのかな。」
分かりやすく気を落としているその様子が愛おしい。オオミズアオよ、幸せは僕らがありがたく頂戴するから安心してくれ。お前が生きていた1週間は輝かしいものだったであろう。その最後は儚いものであれ、美しかったよ。

「コンビニでアイスでも買って帰ろうか、そして明日もここにこよう。オオミズアオが死んでいたら、埋めてあげよう。」

「そうだね。」
元気でね、とオオミズアオに一言をかけて菜葉と僕はその場を去った。

やる気のないいらっしゃいませが出迎えるコンビニは冷房が効いていて寒いくらいだった。なんとなく、オオミズアオのところへ戻ろうとしたけれど、菜葉がアイス売り場に向かったので辞めることにした。2人でパピコを買って半分に分ける。帰り道はオオミズアオの話題から何故か「少年の日の思い出」に移り変わっていた。

「あれはね、クジャクヤママユって蛾がくしゃくしゃにされちゃったんだよ。それはエーミールも怒るよ。そうかそうか、つまり君はそういうやつだったんだな、って言っちゃうよ。」
そういえば、菜葉は図鑑とか本を読むのが好きだったな。やたらと詳しい。

「クジャクヤママユっていうのは珍しい生き物なの?」
正直どうでもいいなということを質問した。恐らく、僕は菜葉の悲しむ顔を思い出したくなくて話題を戻さないように必死だったのだろう。

「珍しいとか珍しくないとか関係なくさ、大切にしていたものを壊されたら誰だって嫌じゃない。しかも、怒るとかよりも修復作業に勤しんだのよ?それだけ大切にしていたんだよ。もう、悲しいとかじゃないと思うわ。」

「そうか、それはもう行き場のない思いでいっぱいだったんだろうな。でもさ、個人的にはエーミールのセリフよりもその後の主人公が自分の標本を全て壊すところが好きなんだよね、あの話の中で。」

「あー、そういえばそうだったね。あれって罪滅ぼしのつもりなのかしら、それとも罪悪感を軽くしたかったのかしら。」

「それ、どっちも同じことじゃない?」

「あはは、そうかも。」

あ、でもそれは全然違うな、と思ったけれど菜葉が笑っていたから言葉にするのはやめて、そうかもねとだけ返しておいた。

「んー?なんか言いたそうだけど。」
顔を覗き込んできた菜葉の額に僕はパピコの食べられる方を当ててやった。

「ひゃっ、冷たい。もーやめてよね。」
驚きながら、僕の肩にグーパンチをしようとする。ごめんよと謝りながら、2人で笑ってパピコを食べた。コーヒー味だけれど、苦くなくて甘い。こうしていつまでも2人でパピコを食べていたいなと思えた夜だった。

 翌日、菜葉に起こされてオオミズアオの元に駆けつけた。そこにもう姿はなく、留まり木に使った枝が落ちていた。それと、青白い羽の一部が横に。

「いなくなっちゃったね、鳥に見つかってないといいけど」
しゃがみながら再びしょんぼりする菜葉は小さな子が失くし物を探しているようだった。

小さな頭を撫でて、パピコでも食べるかと言うと菜葉は小さな声でそうすると返事をした。



 そんな、2年も前のことを鮮明に思い出して、なんとも言えない気持ちになった。目の前にはオオミズアオが1匹。あの時よりも小さいけれど、羽は綺麗で足も6対ちゃんとある。僕は思わず、
「お前、全然幸せ運んできてくれなかったじゃないか」と話しかけた。オオミズアオはそんな僕の方を見向きもしない。羽根を休めるのに忙しそうだ。
「2回目の配達ミスはもうごめんだよ、幸運のオオミズアオ」
そう話しかけた途端、フワッと飛んで近くの街路樹に止まった。ハッと思って振り返ってみたが、もうそこに菜葉の姿はない。いつからか、心にぽっかり穴が開いてしまったようで日々が苦しい。どうせなら風通しが良くなって涼しくなれば良かったのに。なんて考えているとせっかくコンビニで冷やした身体が熱さを取り戻してきてしまった。はぁ、と大きな溜息を一つ吐いてもう一回コンビニに行くことにした。

 数分前にも来たコンビニ。客は誰もいなくて、片言のイラッシャイマセも聞こえてこない。ジョイは裏で寝てるんだろう。僕は、コーヒー味のパピコとライターを手に取った。チロルチョコの横に置いてあるベルを2回ほど鳴らすと、オマタセシマシタと言いながら寝起きで足取りのおぼつかないジョイが来て、レジ打ちを始めた。
「あと150番を1つ」
ジョイは手際良く後ろの棚からセブンスターを取って会計を済ませてくれた。

 久々だなと思ってセブンスターに火をつける。平成のギャル男が吸ってた姿を見て思い出して、目を閉じて深く吸い込む。すぐに咽帰ってしまって、やっぱりタバコは向いてないなと思う。ただ、少しだけ気が楽になったような、いや、気のせいだろう。タバコの先端から灰が少しずつ崩れ落ちていくのを見て、パピコが溶けてしまうと思った。火を消して急いで帰った。

 家に着いて、すぐパピコを開けて、菜葉の遺影の前に片方のパピコを置く。

「久々に一緒に食べようか。」

と一言声をかけて、パピコの上の方を切り取る。1人で食べるパピコは少し苦くて、後味が甘い。相変わらず、美味いなと思うと涙が流れた。止まらない。心に空いた穴はパピコもセブンスターもオオミズアオも埋めてくれはしない。ただ、菜葉が運んでくれる幸せだけが埋めてくれていた。僕はもう、エーミールのような言葉を誰かに吐くこともできないし、あの主人公のように自分の持ってる何か大切な物を壊すことだって出来ない。壊れてしまった物を愛おしく思うことも、終わりを美しく受け止めることも出来なくなってしまった。ただ、存在しないことを実感していくうちに心の穴は大きく深くなっていく。それでも、かつて貴方に貰った優しさを胸に生きていく。思い出を撫でて、配達ミスのなかった貴方を頼りに生きていく。

 明日も深夜1時にコンビニに行こう。そうやって生きていくしかない。カタッと音がした。机に置いたパピコが床に落ちてしまったようだ。表面の氷が溶けて濡れている。少しずつ遺影の下にも水が広がっていて、慌てて布巾を取りに行く。遺影を持ち上げようと思って見ると、なぜかいつもより菜葉が笑っている気がした。
「ひゃっ、冷たい。やめろよー。」と言って。

「そうだね、菜葉。明日はコンビニじゃなくて、今日見たオオミズアオを見に行こう。あの日みたいに。」
菜葉が笑ってる気がしただけで、僕の心の穴は少し埋まったんだ。もしかしたら気のせいかもしれないし、暑さで頭がやられただけかもしれない。それでも、オオミズアオには一度お礼を言いに行こうと思う、配達ミスじゃなかったって。もしかしたら、置き配になってて街路樹に幸せが落ちてるかもしれない。もしかしたら、失くし物を探すようにしゃがんでる女の子がそこにいるかも知れないから。

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