叶えたい社会と、その思いに気づいて。
先日、コーチングの体験セッションを受けてから、自分のやりたいことや使命について、ずっと考えている。
そこで導き出された自分の心の声は
だった。
そこからもっと深掘りして考えたいと思いながら、仕事や地域の役でせわしなく、自分にかまってあげる時間を持てないでいた。
そんなときに、ふと、メルマガやnoteでフォローしているコピーライターのさわらぎ寛子先生の体験セミナーが1、2、3月に1日ずつ大阪で開催されることを知った。
何も迷うことなく、直近の1月25日受講で申し込んだ。
「言葉で仕事をつくる。」というキャッチコピーが、なんとも私の心を刺激し続けている。
1年くらい前から、6ヵ月間の講座を受けてみたいと思いながらも、いろんな理由であきらめていたので、1日だけの体験セミナーはありがたかった。
そのセミナーで、さわらぎ先生が、ご自身の親御さんのこと、そこから生じた思いが、今の仕事を選ぶきっかけになったというような話をされているのを聞き、他の受講者の方も、親御さんとの思い出とご自身のビジネスが繋がっている話をされていた。
私も自分の親のことを思い浮かべた。
実家の記憶に思い巡らせていたら「あっ」と気づいた。
私の父は、昔いじめられっ子で、見返すために浪人までして志望大学に入ったと言っていた。それで学歴こそ得たのかもしれないけれど、その後、まったく理想通りじゃない人生だった。
学歴を武器じゃなくて、盾にしてるだけで活かせてないよね、なのに勉強しろ、って全然説得力ないよね、と反抗期を迎えた兄と私でよく話していた。
そんな父の「自分の価値が分からない周りのレベルが低い」と言って人を見下して、自分の自尊心を保とうとする見苦しい姿に、物心つく頃には嫌悪感でいっぱいだった。
そんな人だから、母とも良好な関係ではなかったし、毎日酔っぱらって帰宅して、家族に悪態をついて、孤立していった。
私が中高生の頃、父が
「お父さんは無理して大学なんていかないで、専門学校に行って、歯科技工士になっていた方がよかったかもしれないなぁ」
とつぶやいていたことがある。
父は手先が器用で、あとは入れ歯だったので、そんなことを思ったのかもしれない。
それを私はずっと忘れられないでいた。
父の仕事のことをよくわからずあんまりピンとこなかったが、
「そうか、お父さんは自分に合う仕事をしていなかったんだね」
と今となれば痛感する。
そうだ。私は父に、『自分自身を活かして』ほしかった。例えば適職に出会ったりとか。
適職に出会って、思うような収入を得て、謙虚に自分の人生はなかなか良かった、と思えるような人生を送ってほしかった。一人で悪酔いして酒に飲まれたりしないで、母や、仲間と楽しくお酒を飲んでほしかった。
そんな人生だったら、何かが違って、母とは結婚していなかったかもしれないけれど、それでもいい。私は生まれていなくてもいい。父に、母に、それぞれでも幸せでいてほしかった。幸せになってほしいと今でも、いつでも願っている。
その思いに気づいたとき、泣けてきた。
距離もあるのでなかなか会えないけど、父は今や、私の子どもたちを溺愛するジィジである。
人間性の問題も大いにありそうだけど…父は、適職に出会えていたら、本人も周りももっと幸せだっただろうな。
両親は、せめて自分たちの譲れない価値観をはっきりさせてから、結婚してほしかったな。
こんな思いが、きっと、
ここに繋がっていたんだろう。
結婚相談所や、今更なんの関連もなさそうなキャリアコンサルタントの資格に憧れたりしてた理由がよくわかった。
誰もが自分を最大限発揮させることができれば、自分が本当に求めているもの(人・会社・サービス)と巡り合えて、幸せな人が増えて、よりよい社会になる
という自分の理想が浮かび上がった。
冒頭で挙げた言葉
『つまり私は、魅力を言語化して、人と人、人と会社、人とサービスを繋ぐことで、誰かの幸せに貢献したいんだ。それが私の喜びなんだ。』
この思いの源を辿ると、私自身の中に、気づいて欲しそうに待っていた潜在意識があったのだ。
さて、気づいて、ここからはどうしていこうか。
とりあえず、やっと気づいた自分の理念を軸に発信を再スタートしていこうか、と考えている。
広告の仕事が楽しいことも、民生委員として地域で子どもの居場所作りをしたい思いも、全てつながっていた。
それらも全部含めて、アセルさんの仕事にしちゃえばいい、とさわらぎ先生は、おっしゃった。
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