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両親離散の私が、子どもを連れて親に会うのは疲労困憊の一大イベント。

「私みたいな状況に置かれている人って、日本に一体何人いるんだろう」

親のことを考えたときに、よく感じる疑問である。

私の父は北海道出身で、母は鹿児島の出身だ。
母はお見合い結婚で北海道へ。

そうして生まれた私は北海道育ちだが、大学1年の時に親は別居し、その後、母は訳あって鹿児島へ。
私は、両親の真ん中にいたいような感覚を抱きながら、25歳で東京、33歳で奈良に移住。流れ流れて南下している。

以前、こちらの「自分史」でも詳しく書いた。

なお、2023年5月まで父は北海道にいたけれど、兄の住む愛知県で今は父と兄の2人で暮らしている。

母は、自分の母親(私の祖母)が亡くなったら、鹿児島から札幌に戻るつもりだったらしいが、2015年に祖母は亡くなるも、すでに札幌には息子も娘ももういないし、ということで、今も鹿児島に住み続けている。

余談だが、母は愛知への移住を視野に入れている。
父や兄もそうしたらいいと考えているようだし、私の夫や、夫の親でさえ、そうしたらいいと思っているようなので、世間一般的に考えたらそうするのが普通なんだろう。

私だって、実家の人間が同じ場所に居てくれたら、会いに行くのも一度で済むし、人手もあるから、楽ができる。どう考えても、そうするのがいい。
母が食事を作ってくれている間に、父や兄が3人の子どもたちと遊んでくれるだろう。理想的すぎる。それが私にとっても「帰省」のイメージだ。

しかし実際、母との関わりにのみフォーカスを当てると、
先週、母のいる鹿児島に1週間行っただけで、楽しかったけれど、とても疲れてしまった。

(↓いいことしか書いてないつぶやきはこちらではあるが…)

<考えられる理由>

  • 母は団地に住んでいるので、下の階の人のことを考えて、静かにして、を言い続けなくてはならない。仕方ないとはいえ、奈良の自宅では自由にしている分、私にも行き場のない不満が…。普段、公共の施設でうるさい等と叱られたこともないのに、自分の母に、自分の子どもをうるさがられることほど、不快なものはない。

  • 鹿児島の行きたいところへ毎日あちこちして、とても疲れたのに、まだ遊び足りない子どもたちが、ママ、ママ、となかなか眠らずに夜遅くまで話しかけてきて構ってほしがる。子どもたちの相手はほぼ私がするしかない。一人でぼんやりする場所も時間もないのはしんどすぎた。

  • 普段は、子どもたちはパソコンや録画を観て過ごす時間が長いので、それがない環境では、やはり大人が対応する必要が出てくる。(自宅では電子機器に子守をさせちゃってると痛感)

  • 数年前までは、我が子たちは私の母に「ばぁば、一緒に寝よう」などと甘えていたし、母も喜んでそれを受け入れていたのに、母の老化や、子どもの増加・成長によるものなのか、お互いなんとなく距離ができてしまっている様子で、甘える先は私しかいない。

  • 子ども(特に次男)がすぐにお腹が空き、「ばぁば、お腹空いたよ~」とせがむのだが、母は老化もあるのだろう、すっかりやらなくなった数人分の食事の用意に以前より時間がかかるようになり、しかも孫に軽くイラついている様子に、私までイラつく。

最終日は疲れのピークで、イラつきすぎて、帰る間際にキーキー泣きわめく末っ子を私は叩いた。小学生と園児の足並みもそろわないし、予定も狂いまくるし・・・というわけで、どう考えてもこんな大変さを抱えて、もう子ども3人連れて一人で鹿児島に行くことなど想像できない・・・。

帰りの新幹線は、行きの10倍くらい疲れた。行きは2席のみしか予約せず、帰りは3席予約したというのに。
子たちの疲れまで、私には受け止め切れないということだろう。
新大阪まで夫に車で迎えに来てもらえていなかったら、私は今日寝込んでいただろうな。

そう考えると、母には愛知県に来てもらった方が絶対にいいのだけれど、私はここで、2つの懸念が頭をよぎる。

  1. もともと不仲で別居しているのに、また一緒に暮らせるのかよ?

  2. 母は鹿児島が好きなら、限界まで鹿児島に住んでいてほしい。というか、私が好きな鹿児島に行けなくなるのが辛いんだと思う。

どうするかは、母が自分で決めることであって、私がどうこう言うことではないのだけど。

だけど、もっと気楽に、私一人でもひょいと会いに行ける距離にやっぱりいてほしいような。なかなか話が通じなくなってしまってきている母だけど、大切な人には変わらない。

こんな感じで、親との会い方や、親自身の住む場所を案じ続けて、シッチャカメッチャカやりながら、ずっと模索している、

「私みたいな状況に置かれている人って、日本に一体何人いるんだろう」

もしいらっしゃったら、励まし合いたい。笑

はぁ~「普通」に憧れる。

でも、私は必死に良い面を考える。
子どもには北海道、愛知、鹿児島、と小さいうちからあちこち行けてよかったね、って思いたいし、
私は私で、異文化間でもまれながら、答えのない問いを考え続ける機会を与えられているんだと・・・思うにはちょっとムリがあるな。笑

とにもかくにも、母が、自分の望む幸せを感じて暮らしてくれたらと、それがいちばんの願い。母の幸せ、母の笑顔が子どもの幸せって、本当にその通りだ。私もやりたいようにやらせてもらう。

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