水木しげる『ほんまにオレはアホやろか』
水木しげるさんの自伝です。
戦前戦後という過渡期を生きた人たちは、実に猛烈な時代を選んで生まれてきたんだなと思わされます。何かのお役目だったのか、魂が意図して何を体験したかったのか。
水木さんの幼少期からの歴史も、そんなことを感じずにはいられないほどの強烈なものでした。
面白かったのは、水木さんは幼いころから、自分にはできることとできないことがあることをはっきりと意識していたということです。そしてできないことはできないと知り、できるようにしようということは思わなかったしそうもしなかった。そのあっ晴れなほどの自分軸は見事でした。
そんな水木さんなので、独自の俯瞰した視点で物事を捉えていたのも印象的です。
国民が戦争に向けて同じ方向を向くとき、「若者たちはまるで全国民に脅かされて死に赴いているようなものだった」と語ります。おかしなことになっていると思っても、真っ向から反対するわけではなく、かといって盲目的に追随するわけでもなく、国が向かう流れの中で、「自分」というウキをしっかりと立たせながら、時代の流れに無理に抗うことなく、共に流れていったのです。
その流れの中で、水木さんも戦争に赴くことになりました。ここで、命からがらどうにか生き延びるという経験を重ねていくのです。ついにはそこで水木さんが左手を失ったことになったのは、言わずともしれたことだと思います。
さて、その舞台となった戦地、南の島で、水木さんは原住民たちに出会います。その時水木さんは、「ここが自分の居場所だ」ともいうべき安心感に包まれるのです。本書の中ではこんな風に表現されていました。
こうしてどうにか終戦を迎え、島に残って現地の人たちと暮らすことにも魅力を感じた水木さんですが、再び戻ると約束して日本の地へと帰ります。ところが、日本に帰ったからといって水木さんの生活は決して楽ではなく、むしろ苦境に立たされる場面の方が多いくらいだったようです。そんな中でも自分軸を下ろすことをせず、ただただ必死で毎日を送り、いろいろなことが重なって「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるになっていったのです。
そんな水木さんだからこそ、「落第したってくよくよすることはない。わが道を熱心に進めばいつかは神様が花を持たせてくれる。」と語る言葉に、力が宿るのでした。
激流であろうが凪であろうが、自分というウキを立たせて流れに在る。その激流はわたしの想像をはるかに凌駕するものでありますが、、、。
大切なことを伝えてくれる1冊でした。
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