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女友だちにすら話されない恋の結末

年1回の習い事のイベントが終了しほっとひと息。それもあって昨晩のW杯決勝を半分寝ながら時折声を上げながら結局最後は寝落ちた。
そんな状態だから朝早起きなんてできるわけもなく、だが半ば強制的に決まったNURO光の工事とやらでまったく家から動けないのに、家で朝ごはんを食べる時間を取れないまま工事の方がやってきてしまった。

工事が始まると問答無用に家の中のWiFiが切られるので(当たり前)、スマホでnoteを読んでいたら今朝のこの林さんの記事に頷きながら、「あれ?」っと思うことがあった。

そして続いて、昨日のTwitterでのはあちゅうさんの事実婚発表に関するnoteも上がっていて、「あぁそれだわ。」とつながった。

ということで、この時間をもてあましてしまう間に、この2記事に書かれてることでわたしが何を思ったのかまとめておこうと思った。(前置き長い)

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女性同士でも恋の報告をしないことがある

女性同士の「恋バナ」はおしゃべりのテッパンであり、たいていカフェで女の子3人ぐらい集まって話しているのをこっそり聞いていると、必ず1回は恋愛の話になっている。それぐらい盛り上がる。

林さんが書かれてるようなポイントもあるんだけれど、もうひとつは女性特有の「マウンティング」というヤツだと思う。

わたしがあまり周りにそういう話をしてこなかったのは、これにとてつもなくこれに違和感を感じるからなのだ。一般的な女子は無意識レベルで「マウンティング」をしていることがある。はあちゅうさんのTwitterでの事実婚発表のコメントにですら、そういうのが見受けられた。

本人同士が幸せなのだから、相手がどんな相手であれ自由ではないか。何故ゆえにそのことに対して「上」とか「下」みたいな優劣のようなものがつくのだろう。

だからわたしはわたしと同じように考えられる女友だちにしか、恋の話はしてこなかった。でもそんな女友だちにすら話さない恋もある。何の違いだろう…と思った。

お互い好きだと実感しているかしていないかの違い

これではあちゅうさんの記事はタイトルだけでも十分理解していただけると思う。(有料記事なのに引用に使ってすみません)

付き合っているかどうかの事実なんてどうでもよくて。
わたし自身が相手を好きかどうか実感しているかが大事で。
その逆もまた然りで、相手がわたしのことを本当に好きになってくれているかどうか実感できているかが大事。

それが実感できない限り、その恋は仲のよい女友だちにすら話さないし、実感できないまま終焉を迎えたのなら、その恋は今後はnoteの一記事として昇華されるに過ぎないのだ。もしくは、ずいぶんたってから恋愛自虐ネタで笑い話に変化させ登場する程度だろう。

身体の関係や会う頻度なんかよりは、気持ちが大事。女の40代はヤリたい盛りだろ、と普通のデート(映画を見るとか食事に行く)がなく、会えばセックスと思っているようなそういう単純脳の男性とは、やっぱり合わない。

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