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俺は今なんだよ

バイトから帰ってきて、
疲れたので寝て、数時間後に起きて、
やることが特に思いつかなくて目を閉じて、でもやっぱり眠れなくて、なんてことをしていたら、なんか虚しくなった。
例えるなら、やることのなくなったゲームをプレイしているみたいな感じだ。もうどこに行ってもそこに冒険はなくて、ワクワクもなくて、何もすることがない状態。
呆然とベッドに横たわって、これはやばいなと思った。
思えば、ここ10年くらい、私は何かしら目標を立てて生きてきた。
中学生なら高校受験に受かること。
高校生なら大学受験に受かること。
受験の他にも一応「夢」らしきものがあって、そのための努力をしていたりもした。
大学に入ってからもそれは変わらず、私は勉強し、抱いていた「夢」をなんとなく追いかけながら生きていた。
そして、それはいつしか就職活動に変わった。
どこかで私は、まだ見ぬ「未来」にワクワクして、期待して生きていた。
だが今、就職活動も終わり、あとは卒業するばかり、という段階になって、
ワクワクはただの現実に変わり、「夢」は現実のどこかへ雲散霧消し、何を目標に生きていけばいいのかわからなくなった。
これから私は毎日働いて、寝て、起きて、ご飯を食べて何十年と生きていくのだろうが、果たしてそれは一体なんのためなのだろう。
無論、それは自分の生活のためだと言える。
大人はそうやって、自分で自分の身を立てて生きていくものだ。
だが敢えて言わせてもらえば、私は私なんかのために無理してまで生きていたくないとも思う。

この思考に思い当たったとき「こりゃいかん」と思った。
また死にたくなって、鬱々としたnoteを残してしまうぞ、と思った。
そしていつか衝動的に死ぬぞ、と。
なので私はもはや習慣となっている筋トレを無理矢理断行した後、クソ寒い外に走りに行った。
そして走りながら、
「もっと今この瞬間のために生きてみるのはどうだろう」と考えた。
今までは未来のために生きてきた。未来のためにやりたくもない勉強をし、「いつか」を夢見て努力もしてきた。そこにはいつも大きな「期待」があった。
そして疲弊した現実の中でその「期待」を失い、呆然としている今、この瞬間の気持ち良さを第一に考えてもいいんじゃないかと。
例えば、今寒い公園を走っている肉体の気持ちよさ。
暖かい布団にくるまって映画を観れる気持ちよさ。
大好きなコーヒーをゆっくり飲める気持ちよさ。
好きな曲を聴ける気持ちよさ。
目標なんてなくたって、今が気持ちよければいいのではないか。
これから問題なく毎日働いていく限り、私は「未来」のことだけでなく「今」のことだけ考えれば生きていけるのだ。
それは結構、幸せなことなんじゃないだろうか。

そして、いつか家族ができて、みんなの「未来」を真剣に考えなくてはいけなくなった時、また目標に向かって走ってみるのもいいんじゃないか。
無論、家族ができない可能性も大いにあるが。私は選ばれないことにかけては一流だからな。
まあ、それだったら一生、「今この瞬間」のために生きていけるわけで、
それはそれで結構良い人生だ。
取り敢えず疲れるまでは、この考えでいってみよう。
脳裏に桜木花道のセリフが浮かんだ。

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