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生きやすくなる処方箋『愛される側じゃなくて 愛する側にまわる』

愛されない現実が起こったとき
いつも怒りで暴れてたけど


その時のことを振り返って、

「じゃあ、私は相手のこと愛してたの?」

って聞かれたら

「いやぁ、全く。ぶっちゃけどうでもいい」

っていうのが正直な気持ちだった。





私は「愛されたい」けど
私は別に相手を愛してない。




「相手が幸せかどうかなんて、どうでもいい。
私をいい気分にしれくれるかどうかが大事」

っていうのが、本音だったりする。








「愛する側」に回って世界を見た時

私は、昔飼ってた犬以外に

愛してるものが何もないことに気が付いた。

犬は、大好きで、
犬のことは何も否定したくなくて
死んだときも
悲しくはあったけど、苦しくはなかった。

多分、あれを愛してたっていうんじゃないかな。




「愛されてるか」より
「私はそれを愛せるか」

で、これからは物事を選択してみようと思う。

すぐに忘れそうだけど。

・・・

あ、でもね。

これ、自己犠牲が強い人は

自己犠牲と、「愛する」を混同して考えちゃうから

注意してね。

「愛する」はね、苦しくないし、
疲弊もしないんだよ。

むしろ、パワフルになる。

自己犠牲は、無理してるから
どんどん疲弊する。

気を付けてね。

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