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時代

時代という言葉。

その時を表すというか…。

ある意味節目を表す言葉とも言えよう。

時代は大記録を生んだ。

走り続け
かっ飛ばし続け

時代が生んだスーパースター。

そして時代が生んだルールさえも味方につけて(色々と)

前人未踏の記録を打ち立てた。

50ー50

50本塁打に50盗塁。

大谷翔平選手。

何て凄いんだ。

いや、凄すぎる。

他に言葉が見つからない。

六打数六安打。

ちなみに今日は三安打一本塁打に一盗塁…。

どないなっとんねん。

同じ人間とは思えない。

ってか同じ日本人。

開いた口が塞がらない…。

天性の才能。

物事を突き詰める能力。

人間性。

恵まれた体躯。

弛まぬ自己研鑽。

良き伴侶…。

全ての条件がそろった人間のパフォーマンスは素晴らしい。

驚嘆の言葉しか出ない。

去年右肘を手術した影響で、今年は打者専念。

その影響でキャンプ時から、走塁練習をいつも以上に力を入れて練習できたとか。

いや、だとしても凄すぎる。

一体全体どうなっているのか。

分からない。

分からないが、ある意味全ての条件が重なった2024年だからこそ打ち立てられた記録なのかもしれない。

「時代」が求め、「時代」が生んだスーパースターと不滅の大記録。

コングラチュレーション!!

時代が過ぎ去るということ…。

それは一人の人間が表舞台から退くことを指すのかもしれない。

元大関貴景勝引退。

大関を陥落し、迎えた秋場所。

関脇として十番勝てば大関復帰。

不退転の決意。

だが、初日から二連敗。

三日目からは休場とあいなった。

そして現役引退…。

やはり度重なるケガと、何よりも首のケガが致命傷となったか。

引退会見では、努めて冷静に言葉を発しつつも、目から溢れ出る感情は隠せない。

懸命にこらえ続け、会見を終えた姿はどこか貴景勝のここ最近の取り組みを思い出させる。

「突き押し」で挑んだ電車道。

鮮烈な記憶を残しつつも、28歳での引退。

きっと本人が一番悔しいのでは。

本当にお疲れ様でした。

一人の名選手が去ると同時に、一人の次世代のスター選手が現れる…。

いつの世でもあること。

大関昇進がかかる今場所。

順調に白星を重ね、優勝と同時に昇進をも手繰り寄せた24歳の大器…

大の里。

迎えた十四日目、対するは1勝3敗と分の悪い大関豊昇龍。

組まれると分が悪くなる…。

大の里の出した答えは相手に近寄らせず、一気に土俵下に追いやる「突き押し」だった。

大相撲中継で誰かの解説で「突き押しは調子が良いと手がつけられない」っみたいなことを言っていた。

まさしく今日の取り組みはその言葉通りの展開。

電車道。

そのスピードは自らの出世の早さに追いつかず、大銀杏(おおいちょう)を結えない、ちょんまげ姿を現すよう。

時代の早さを現しているのか。

そして「突き押し」に何故か感慨が湧いてしまった…。

一人の偉大な力士が去った日に、一人の大器が現れる。

「時代」は全てを照らし出す。

時代の変わり目を察し、時代の匂いを巧みに描き出し…

「今は敗者でも やがては勝者になるのかもしれない」

「だって時代は変わるのだから」

そう高々に歌い上げ、時代の変わりゆくさまを記した一人の偉大なシンガー

ボブ・ディラン

今はやがて
昔となり
秩序もあっという間に
廃れていく
今は一番の者も
やがてはビリとなる
だって時代は変わっていくのだから

時代の変わる、不変の真理を説き、今ある「今」もすぐに昔となる「昔」を描き、新しい秩序やある意味、盛者必衰の理を説いた若きボブ・ディラン。

その目から見えた「時代」は果たしてどのように映ったのであろう。

その言葉はある意味「時代」の真理をついているのかもしれない。

やがて人それぞれに訪れる時間の蓄積。

それと同時に人は年を重ねていく。

当時還暦間近のボブ・ディランは、戸惑った感情を歌に乗せてメロディを紡いだ。

変わった時代に対しての戸惑い…。

人々は狂気に取りつかれ
時代はおかしなことになっている
ぼくは厳重に閉じこめられ、射程外にいる
これまでは気にしていたけど、
いろんなことが変わってしまった

変わりゆく時代を、己の感性でとらえ、一つのメッセージとして世に訴えたボブ。

年齢を重ね、今度は変わっていく「時代」に対しての戸惑いを訴えている。

年齢からくるものなのか。

年を重ねた感性がそうさせるのか。

一人隔絶されたような気分になり

世の変わったものに対して、変わっていない「自分」に気づく。

気にしていたことさえ、気にならなくなった。

人々がおかしいのか
自分がおかしいのか。

古いトラディショナル・ソングのようなメロディが、余計に時代の「斬新」さと「往時」のアイコニックさを際立たせる。

いつの「時代」も同じように見えていて、そうではない。

同じ出来事でも人の年齢や、その他諸々の条件で感じ方は変わるもの。

ボブ・ディランは二つの「時代」を現す歌で、巧みに「時代」という概念を切り取ったのではなかろうか。

その時代時代に起きるさまざまな出来事。

今は少しでも前人未踏の記録がどこまで伸びていくのかが、この時代の、同じ日本人としての一つの楽しみ方なのかもしれない。

大谷翔平選手が活躍する「時代」に生まれて良かった。

この不滅の記録を楽しめる、一野球ファンとしての「時代」という概念のとらえ方だ。





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