見出し画像

酔った心地と共に

最近めっきり吞む量が減った。

ついこないだそんなことを書いた。

だが

それ故にたまに吞むお酒の味は格別だ。

忘れた頃に思い出すかのようにして呑むお酒。

いつも以上に体内に染み渡る。

一口目。

鮮やかに。

二口目。

喉から胃に流れていく。

やがて

五臓六腑に染みわたり

一日の終わりの合図を告げる。

今日も一日ご苦労さん。

体内に流れていく魅惑の歓喜は全てを受け止めてくれる。

生きた心地。

そんな言葉を思い出す。

人それぞれ

人それぞれだとはあらかじめ断っておくが…

呑む量を減らしたことへの返答。

お酒は人生を愛している。

その感受性が増した気がする。

しらふの自分を基調に

酔った自分を時には愛す。

お酒は生きる事への「根本」を見つめ直させてくれる。

精度を増した「酔い心地」に静かに意識を浮かべ

一人そんな事を考える。

最近知り合った人が言ってたな。

「お酒は人生のスパイス」

スパイスは効かせすぎるとあまり宜しくない。

そう、ほどほどが良い。

その匙加減こそがピリリとスパイスのように響いてくるわけだ。

酔い心地…

その効能は色々なものを生む。

積極性が増したり

胸襟を開いた会話を演出したり

思考を突飛な方向に向けたり

はたまた普段では絶対に浮かばないような語彙を見つけたり…

人に迷惑をかけない、無茶な呑み方をしない、体と時間を大事に…

自らに課した戒めを心がけ

その時間に身を任せると…

案外今まで見えなかった角度から物事が見えてくるかもしれない。

いや、それは単なる「酔っ払い」だと人に突っ込まれそうだが…

酔いによって「許す」という寛容の精神が、普段の自分の器以上に大きくなるからかもしれない。

あくまでも個人差があると断っておくが…

これが酔い心地の醍醐味なのかもしれない。

ええ…

普段からこの「酔い寛容」の精神が定着していれば…

自分はどれだけ己と闘わずにすむことか((+_+))

ええ…

巧みにこの心地を追求できたら良いんですけどね。

そうはいかないので、たまに味わうこのストレスフリーな心地をしっかりと味あわねば。

普段では分からなかったことさえも理解できる…。

その単純で複雑な世界のフィルターで

どうやらその「音」は楽しめるのかもしれない。

アメリカはニューハンプシャー州。

フリーモントの工場労働者であるオースティン・ウィギン・ジュニア。

そして彼の母親は神のお告げを告げるという予言者だった。

母親の予言通りの女性と結婚したりなど予言が的中したこともあり、母のお告げに耳を傾けていたオースティン。

「娘たちが音楽で売り出せば、きっと国中から賞賛されるであろう。」

そのお告げを信じ、自らの三人の娘達を学校を止めさせ、そしてバンドを組ませたそうだ。

一日中楽器の練習をさせ、ライブハウスなどで演奏をしていたそう。

凄く厳格な(?)父親の三人の娘たち。

三人は実の姉妹。

ドロシー、ベティ、ヘレンのウィギン三姉妹からなるバンド。

「シャッグス」

三人にはほとんど音楽の知識はなかったそうだ。

だが、お告げを信じる父親に楽器を持たされ、世間とは隔絶された環境でひたすら練習をしていたそう。

「さっさと演奏を終わらせて帰ろうという気分」

そうベティが振り返るように嫌々音楽活動を続けていたそうだ。

ちなみにバンドは1975年に父が亡くなったのを機に解散したそう。

こうやって書いているが、エピソードだけでも充分インパクトのあるバンドだ。

バンドは2枚のアルバムを残している。

父親に友達とも会う事すら認められず、ポピュラー音楽を聴くことすら出来なかった環境で熟成された自らのサウンド=音。

これはまさしく自らの感性としか言いようがない。

バンドが1969年に発表したファーストアルバムに収録された2曲。

かくいう自分も最近知ったバンドなので詳しくはないのだが…

??

これは一体…

何なんだ?

いや、ある意味凄いのかも。

自分の本能に忠実になり、ドラムやギターを弾き

それに合わせて歌を歌う(っというか唱える)とこんな感じになるのかと思ってしまう。

何とそのままの生まれたての「音」であることか。

これは理解しようという意識では追いつかない。

ええ、人によって意見は異なるとは思うのでご容赦を。

そう、追いつかないんですよ。

だが、鬼才フランク・ザッパは絶賛し、天才カート・コバーンはフェイバリットなバンドだと仰っていたそうだ。

うむ。
世の中は色々な見識と音楽が溢れている。

ある意味純正培養されたからこその「真の音楽」だという側面も見せているのかもしれない。

そしてシャッグスの「音」は酔った心地に乗ってくる。

微妙にシンクロしてくる。

それはある意味「寛容」の精神を体現するのには持ってこいなのかもしれない。

音を鳴らすというのはある意味原始的な行いとも言えよう。

そしてお酒に酔うというのも人間の本質をついているとも言えようか。

その二つが絶妙に交じり合った感じはまさしく本能に訴えかけてくる「音」であり、それが「酔い寛容」と共に頭に響いているのかもしれない。

酔った心地と共に、シャッグスが鳴らす「誠」の音は妙に心を打ち鳴らす。

うむ。

人生はどうやら驚きと喜びを味あわせてくれるようだ。

スパイスはほどほどに。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?