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『人間の建設』No.21 人間と人生への無知 №1

岡 情緒というものは、人本然のもので、それに従っていれば、自分で人類を滅ぼしてしまうような間違いは起こらないのです。現在の状態では、それをやりかねないと思うのです。
小林 ベルグソンの時間についての考えの根底はあなたのおっしゃる感情にあるのです。
岡 私もそう思います。時間というものは、強いてそれが何であるかといえば、情緒の一種だというのが一番近いと思います。
小林秀雄・岡潔著『人間の建設』

 前節で、常識が感情をもとにして働く(小林)、感情の満足と不満足を直観といい、それなしでは情熱もない(岡)、という会話がありました。

 本節では、岡さんの口から「情緒」という言葉が出ます。感情、情、心などと同義と思われます。時間とは「情緒の一種だというのが一番近い」と岡さんは言います。

 私達は、時間の進み方をときに早く感じたり、遅く感じたりすることがあります。一年があっという間に過ぎていく感覚を抱くことがある一方で、たった一分が長く感じられてイライラすることも。

 時間の感覚は、ときどきの情緒により大きく影響を受けるようです。時間が「情緒の一種」といわれて納得できる気がします。

小林 それでは岡さんのおっしゃる感情をもととして、科学なり数学なりを進めていく道はあるのですか。
岡 感情をもととして、ベドイトゥング(意義)を考えて、その指示する通りにするのでなければ、正しい学問の方法とは言えないと思っています。
小林 数学もそうですな。
岡 はい。人類が幸いに自分を滅ぼさずにすむなら、最初にそれは考えるべきことだと思います。‥‥‥
小林秀雄・岡潔著『人間の建設』

 こんどは、感情と学問との関係について小林さんが岡さんに問います。感情をもとに学問、特に自然科学を進展させていく道について。

 岡さんが答えて、「感情をもとに、意義を考え、その指示する通りにしなければならない」と。

「知情意」から言うと「感情」は「情」で、「意義を考え」ということは「知」の領分。さらに、「指示通りに行う」となれば「意」がからむことになります。

「意義を考え」「指示するとおりにする」とは簡単に可能なこととは思えません。ただ、あまり難しく几帳面に考えても答えは出なさそうな気はします。

 お二人がおっしゃる、常識や直感が意外なヒントに結びつくと期待します。ここでも「情」の出番かもしれません。

 情的に納得すること、納得できるかどうかが決め手でしょうか。「知」や「意」だけに片寄ってはいけなさそうです。

 それと、個で考え納得するだけではなく、衆知を集めるのも忘れてはいけないことでしょう。独りよがりで決めてもうまくいくとはかぎりませんから。

 対談の当時(1965年頃)には、水爆もすでに開発されていました。ソビエト連邦という強大な国家が存在し、大国間での冷戦状態という厳しい現実もありました。

 人類の未来に危惧の念を抱いているのは岡さんだけではなかったでしょう。
 
 この後、岡さんが長広舌をふるう場面になりますが、それは次回に。

――つづく――


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