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70年代、流行った洋楽。19

当時、FM放送の開局を追うようにはじまった『ポップス・ベスト10』などの番組で毎日のように聴いていた洋楽。自然とおぼえて口ずさんだりしていました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけではなく、半世紀も前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。

70年代にはこんなことがありました。


愛ある限り/キャプテン・アンド‣テニール
Love Will Keep Us
Together/Captain & Tennille(1975年)

 この曲も流行りましたね。夫婦のデュオで40年以上歌い続けたそうです。テニールさんのキュートな容貌と歌唱が特に印象に残っています。
「Love Will Keep Us Together」まさに「愛ある限り」。この曲でいったい世界中の何百万の人たちのこころが暖められたことでしょうか。

「愛ある限り」 (Love Will Keep Us Together) は、ハワード・グリーンフィールド作詞、ニール・セダカ作曲による楽曲。キャプテン&テニールが1975年に発表したバージョンが最も有名である。……1975年4月発売のキャプテン&テニールのシングルが同年7月から4週連続全米1位を記録し、翌年にはグラミー賞最優秀レコード賞を獲得した。

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 テニールさんと彼女の三姉妹、あわせて美人四姉妹のクリスマスソングのビデオがです。彼女は音楽一家なのでしょうみごとなハーモニーです。ここでも旦那のキャプテンが伴奏しています。


シュガー・ベイビー・ラヴ/ルベッツ
Sugar Baby Love/The Rubettes(1974年)

 強烈なファルセットのシャワー、一度聴いたら忘れられません。下のような事情がありましたが、その後もバンド活動は続き、メンバーの入れ替わりも経ながらいまに至るというから長い経歴ですね。今回調べて驚きました。

「シュガー・ベイビー・ラヴ」(Sugar Baby Love)は、イングランドのバンドグループルベッツのデビュー曲である。1974年1月に発売された。このシングルはイギリス、スイスおよびドイツのヒットチャートで1位を記録した。……ボーカルを担当したポール・ダ・ヴィンチが脱退してしまう。そこで、ウェインはボーカルを探して再レコーディングするのではなくポールのリードボーカルを採用し、1974年、1月にリリース。ポールの高音で世界中で800万枚を売り上げる。

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ふたりの天使/ダニエル・リカーリ
Concerto pour une voix/Danielle Licari(1970年)

 サン・プルーが自分の楽団のために作曲したもので、スキャットの名曲として実によく流行りました。
 この曲に結びつく事柄といって特に何があったわけでもないのですが、リカーリの歌唱自体に強烈な印象があったことを覚えています。忘れることのできない一曲。
 当然ですが歌詞はありませんので、皆様のご自由に想像の羽を広げてお楽しみください。

邦題は「ふたりの天使」ですが、原題は Concerto pour une voix (ひとつの声のための協奏曲) です。サン・プルー ( Saint Preux) が1969年に作った曲です。彼が自らのHPに書いているところでは、この曲は世界中で合計1500万枚以上売られたそうです。

シャンソンの部屋

ダニエル・リカーリ( 1943年11月30日-)はフランスの歌手、フランスのブローニュに生まれ
音楽一家に生まれた彼女は、12歳ぐらいから音楽活動をしていました。
1963年、ミュージカル映画「シェルブールの雨傘」でカトリーヌ・ドヌーブの吹き替えを担当していたんですね・・どこかで聴いた声と思ったら・・そして1970年に「ふたりの天使」で人気を決定付けます。

虹とあさかぜの「詩と音楽の世界」

 
 ダニエル・リカーリのスキャットが印象的な、エーゲ海の真珠。まさに珠玉のスキャットに心うばわれます。

エーゲ海の真珠/ポール・モーリア
Penelope/Paul Mauriat(1972年)

 リカーリのスキャットは、1分35秒あたりからです。
 それにしてもエーゲ海、
 一度行ってみたいです。


※猫野サラ(漫画家)さんの画像をお借りしました。


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