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60年代、流行った洋楽。7

『70年代、流行った洋楽』の60年代版です。
60年代の初頭は、私自身がまだ少年時代。音楽に目覚める以前のことでした。そのうち、ラジオのAM放送やテレビなどから流れる音楽に意識が向くようになりました。そんななか、記憶に残る曲にもめぐり逢いました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけでなく、半世紀よりもさらに前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。

60年代にはこんなことがありました。


アンチェインド・メロディー/ライチャス・ブラザース
Unchained Melody/The Righteous Brothers(1965年)

 素敵なメロディとストレートな歌詞。高らかに歌い上げる恋心は想い人にに届くのでしょうか。川が海に流れ込むように届いてほしいこの想い。たとえ時間がかろうとも。
 この曲は、多くの人の心にひびく強力なエネルギーがあったようです。何度かリバイバルでよみがえる曲でもあり、1990年の映画でもその力を見せつけました。

1955年の楽曲。作曲:アレックス・ノース、作詞:ハイ・ザレット。この曲は様々な言語で500種類を超えるバージョンで録音され、20世紀で最も録音された曲のうちの1曲となった。
……20世紀後半のジュークボックスの基準となったのは、1965年6月にライチャス・ブラザーズが録音したバージョンである。そのバージョンは、1990年の映画『ゴースト/ニューヨークの幻』の主題歌に採用され、全英シングルチャートで1位となるリバイバル・ヒットとなった。

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ワシントン広場の夜はふけて/ヴィレッジ・ストンパーズ
Washington Square/The Village Stompers(1963年)

 もともと、インストゥルメンタル曲でしたが、のちに作曲者自身によって歌詞がつけられました。リアルタイムで聞いたのか、後追いのことだったのか……定かではありませんが、この演奏には確かに聞き覚えがあります。

英語歌詞の1番と2番の大まかな意味(大意)は次のとおり。「アメリカ中で噂のグリニッジ・ヴィレッジ。ワシントン広場では、いつだって仲間が集まりフォークソングを歌ってる。俺はカンサスを出て、ワシントン広場へ行くんだ!」
この後の歌詞(全部で6番まで)は、カンサスを出てワシントン広場へ向かった人物が、途中で気になった奴らを仲間に引き連れながら、ついにカウンターカルチャーの聖地ワシントン広場に到着し、自由の歌声を響かせるといったような内容となっている。

世界の民謡・童謡

ワシントン広場の夜はふけて/エイメス・ブラザース
Washington Square (with lyrics)/The Ames Brothers(1963年)

ワシントン広場の夜は更けて (ボーカルcover)

 日本語の歌詞も聞き覚えがあります。下のような経緯があったのですね。原曲の歌詞とは大分異なるようですが。いつ頃だれのカバーで聴いたのか確かな記憶は残念ながらありま温泉……(失礼しました)。

日本では、『可愛いベイビー』『ルイジアナ・ママ』などの訳詞で知られる漣 健児(さざなみ けんじ/1931-2005)が作詞した日本語版の歌詞が存在し、ダーク・ダックスやデューク・エイセス、ザ・ベンチャーズらが歌謡曲としてカバーしている。

同上


ジョニー・エンジェル/シェリー・フェブレー
Jhonny Angel/Shelly Fabales(1962年)

 アンチェインド・メロディーとは逆に、女性から男性への想いを歌っています。おとめ心とはこういうことを言うのでしょうか。
 アメリカのテレビドラマ「うちのママは世界一」の何回目かの挿入歌だそうです。長女役を演じたシェリー・フェブレーさん、このときはティーンエージャー。とてもチャーミングな彼女、その後も女優として活躍されたのですね。憧れのジョニーとも結ばれたようです。
 下のビデオでは、そんな彼女の美の成熟をたどることができます。

作詞作曲はリン・ダディとリー・ポックリス。ローリー・ロマンとジョージア・リーがそれぞれ1960年に発表していた楽曲を、1962年2月にシェリー・フェブレーがカバーした。フェブレーは3歳から子役を開始し、テレビドラマ『うちのママは世界一』の長女役などで知られる女優であったが、本作品を機に歌手業にも進出した。

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※素晴木あい subarasikiai さんの画像をお借りしました。


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