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『人間の建設』No.22 人間と人生への無知 №2

小林 たとえば物質をしだいに細かく調べていっても、ある方程式は満足させるような結果は出るが、感情はそれをうんといいませんね。
岡 携わっている学者たちの感情がそれに同感する必要があるということを自覚すると、すべてがよくなると思います。科学が進歩するほど人類の存在が危うくなるという結果が出ることだって、ベドイトゥング(意義)について考えたりないのです。

小林秀雄・岡潔著『人間の建設』

 小林さんのいう「感情がそれをうんといわない」とは、「違和感があるように思う」と言い換えることもできると思います。

 大会議などで、「感情がそれをうんといわないんです」とか「それは、違和感があります」なんてなかなか言えませんが、もし言ったとします。

 それを周りから「根拠は何だ」とか、「論理的に説明せよ」といわれたら、答えることは難しいかもしれません。というかできない。

 感情なので、理由はありません。いやだからいやだ、変だから変なので。

 問答無用というと、力に訴えてもとなりかねません。ではなくて、問答無理なのですね。

 ここは大阪のおばちゃんに8人ほど集まってもらいましょう。
「いややねぇ」「私も!」「そやね」「変やもんね」「おかしいわ」「ぜったい、変!」「やめよ」「うん、やめよ」決定。

 人とともに坑道に入って、人のためにリトマス試験紙代わりに尊い命をささげる、カナリヤにも似ておばちゃんは……。

 話を戻します。
 岡さんが続けます。

「いまの人類文化というものは、一口に言えば、内容は生存競争だと思います。生存競争が内容である間は、人類時代とはいえない、獣類時代である」

 でも、けものに失礼なくらいニンゲンの生存競争は必要の限度を超えて破壊します。競争の敗者=貧窮、恥辱、消滅、苦痛への恐怖感がそうさせるのか。勝者=富貴、名誉、生存、快楽への志向なのか。

「もしできるならば、人間とはどういうものか、したがって文化とはどういうものであるべきかというところから、もう一度考え直すのがよいだろう、そう思っています。……それはおもしろく楽しいことだと思うのです」

 争いに勝つことではなく、おもしろく、楽しいことをつくっていくこと。破壊ではなく、創造が人間の本然だと言っているようです。

「私、自然科学はろくなことをしていないと思いますが、そのなかでごくわずかですが、人類の福祉に貢献したということのうちで、進化論、つまり人は単細胞から20億年かかってここまで進化してきたのだということを教えているということは、その一つに数えられます」

 岡さんは、率直に自然科学のふるまいのわるさ加減をあげます。反例として進化論を「崇高な人類史にたいする謙虚な心」と評します。

 コッホがコレラの原虫の発見したことも「すがすがしい科学の夜明け」とします。

「それから第一次世界大戦で……破壊力が科学によって用意されるまでに、たった30年しかかかっていない」といい、「アインシュタインが相対性理論を出しましてから、……原子爆弾が実際に広島に落ちるまで25年しかかかっていない」といいます。

「すべて悪いことができあがるのがあまりに早すぎる」と憤慨せんばかりです。

 人の進歩が悠久の年月を要することを、植物の進歩に対比します。

「種からはえては大きくなって、花が咲いて実ができたら枯れてしまう。またその実から芽を出して、繰り返し繰り返し……なぜか知りませんが、進化している。この草の1年に相当するのが人の20億年……」

 に対して、人がおこなう破壊は一瞬にすすむ。

 岡さんの弁はまだつづきますが、それは次回へ。

――つづく――




※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。(梅の花とヒヨドリ)

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