宮内窓花( みやうちまどか)

書くことが好き。感じたことを感じたように書いています。

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最近の記事

上の孫

「もう帰るのか〜つまんねぇなぁ」 そう言って帰って行きました。 夕方から塾だそうで、受験生の現実が待ち受けています。 小さかった頃たくさん遊んだ 「ドラえもんの動くお絵描き」というおもちゃを、 もう捨てて良いか?と聞いたら 出して欲しいと言われました。 上の子には上の子の思い 下には下の思いがあって 親は平等に育てているつもりでも、 それぞれの見方や感じ方は違ったりするものなのですよね。 下が生まれるまでの5年間 彼だけを愛した。 その濃さをたくさん伝えた2日

    • 広がれ!腹の幅!

      友達とバランスの良いご飯食べた時ね 「食べ物も人間もバランスだねぇ」って話しました。 そうだよ! 年をとってさ、顔も体型も崩れてもさ たしかにそれはマイナスかもしれないけれど、 でも人生経験が豊富になってプラスだ! マイナスの分、人間の幅や心の幅を増やせば プラスマイナスゼロだよね\(^o^)/ もっとひろがれ腹の幅、顔の幅!(≧∀≦)

      • 派遣切られたよリーマンショック!ショック!

        忘れたくない。 リーマンショック。 私のリーマンショック。 ショックでした。 わたしは鈴鹿で派遣社員として頑張っていましたが いきなり切られました。 しかし へこんでいる暇などなく 今度は実力があれば切られることがない営業職に移りました。 ヒロシはヒロシで 逆に派遣を切る立場でした。 ショック。リーマンショック。 正社員登用を目指して 一生懸命頑張っていた2人の女子に ヒロシはリストラを言い渡さなければなりませんでした。 ヒロシが私に言いました。

        • 優しさの魔が刺す時

          優しさの魔が刺す時 おかしな時がある 苦手で苦手で 仕方がない人に 何だか急に 歩み寄ろうかなって発作的に思う時がある。 向こうの優しさも 期待して。 ほとんどは 勇気ないけれど たまに行動に移す。 でも 結局また少し傷ついたりして やるんじゃなかったと後悔する。 でも きっと無駄ではないと思う。 優しさの魔が刺す時。

          新車をぶつけてワンダルフにゃん^_^

          納車して間もない新車を ヒロシがぶつけてしまったことがありました。 そのショックを想像してみると きっと 心臓をギュッと握られるような感じです。 2人で降りて傷を見た5秒後に 「 今からなおしに行こう!」 と、わたしは車に乗り込みました。 いつも通る道に 板金屋さんがあったことを思い出し、駆け込みました。 わたしは、いま自分たちがどれほどつらいかをおじさんに話しました(笑) するとおじさんは 「 大丈夫ですよ。きれいになりますよ。人を傷つけなかったのだから

          新車をぶつけてワンダルフにゃん^_^

          悪口を言われる女社長さんの優しさ

          昔、母はパートのおばさん4人だけの 小さな町工場に勤めていました。 毎日毎日、みんなが話す女社長さんの悪口を黙って聞いていたそうです。 (ー ー;) ある日、女社長さんは母に 「 宮内さん、国民年金かけている? 」 と、聞いてきたそうです。 母には初めて聞く言葉です。 「 いいえ、知りません。」と答えると 後日、自分の車を出して今で言う年金事務所に母を連れて行き 国民年金加入の手続きを手伝ってくれました。 母は未加入時期の分を、貯金をかき集めて納め

          悪口を言われる女社長さんの優しさ

          マルシンハンバーグとギター

          ヒロシは4年前に もっと良い音を求めて♫ 愛用していたギターを売りました。 やがて別のギターを手に入れます。 しかし やっぱり 手放したギターが忘れられませんでした。 そして今度は新しいギターを手放して 忘れられなかったギターと 同じタイプのギターを買いました。 それでも やっぱりどこか違いました。 まるで忘れられない昔の恋人のようね。 ヒロシは言いました。 「 きっとあのギターが 再び自分のもとに戻ってきたとしても また不満はでるものだよ。 人の感

          マルシンハンバーグとギター

          オンボロ我が家にトラックが突っ込んだ日父が英雄になった

          私が幼稚園の頃 自宅にトラックが突っ込みました。 ボロい我が家の台所が めちくちゃに壊れました。 4才上の姉は 泣きながら落ちて来たマッチの箱に マッチを拾い集めていました。 トラックには みすぼらしい身なりのご夫婦が乗っていました。 「 すみません、すみません 」と 手ぬぐいでひたいの汗をぬぐいながら 顔を上げず 謝り続けるふたりに 母は言いました。 「 大丈夫だから!旦那さん、 奥さんも顔を上げて! うちは大工だから大丈夫だから! 自分で

          オンボロ我が家にトラックが突っ込んだ日父が英雄になった

          憎たらしい係長よありがとう

          通り過ぎてわかること。 何年も経ってわかるアノトキノ あの人の言葉。 いまから20年近く前 派遣社員で働いていた時のことです。 指揮命令者である派遣先の係長に 「 宮内さん、絶対ミスしないでね。」 と初めにこう言われました。 「 ミスがあったら、僕は君のやった仕事の全てを信用できなくなって、仕事を頼めなくなる。」 係長はこう続けました。 集計、統計が私の仕事でしたから、ミスをするとミスの場所を探すのに、膨大な労力を費やすことになります。 私はその時 「 な

          憎たらしい係長よありがとう

          嫌いだった父親

          先週義父92才の誕生日でした。 ヒロシは長い間父親が嫌いでした。 結婚して40年近く、義父と話をしている場面を見たことは、ほとんどありませんでした。 そんなヒロシも義父が90才を過ぎてから変わりました。 デイサービスから持ち帰る洗濯物も私には洗わせず 必ず自分で洗っています。 義父は酔って「感謝」の想いを 脳梗塞で不自由になった右手で何枚も書いては、 階段にそっと置いて早く寝てしまいます。 ヒロシは「こんなものばかり書いて」と言いながら 1枚残らずすべてフ

          焼き鳥のタレをこぼした父

          あの日 父を叱らなくて良かった。 父が焼き鳥のお皿を流し台に運んでくれようとして 「 タレをこぼした 」と言うので 1、2滴かと思ったら点々とこぼしていました。 失敗を責めない訓練を ヒロシから受けているので 安心させてすぐに床を拭きました。 父は申し訳なさそうに 作業を見ていました。 私が「 ついでに床のぞうきんがけが できたよ。 こぼす前より綺麗になったよ! 」と言うと 父は安心した顔で席に戻りました。 ヒロシありがとう。 訓練を受けているけ

          焼き鳥のタレをこぼした父

          さだまさしの案山子

          さだまさしの 「案山子 ( かかし ) 」を聴いて 思い出したことがありました。 わたしの父 二郎のことです。 二郎は大工でした。 若い頃 千葉から上京して 渋谷区で大工見習いから始めて 一人前になりました。 25で同い年の母と結婚。 一生懸命働きましたが 暮らしはなかなか楽にならなかったそうです。 人間関係が苦手、コミュニケーションが苦手な二郎は いまでいう 鬱になりました。 そんな時 優しい弟が 「兄貴 気晴らしに キックボクシングの試合を見に行

          夏の夕暮れ

          夏の夕暮れ。 住宅街を歩くと 網戸にしているせいか 暮らしの音が聞こえてきます。 お茶碗のカチャカチャいう音や テレビの声や 子どもの笑い声。 それから台所の水の音。 「 幸せだよ。」と聞こえます。 私の家にもかつて そんな暮らしの音がありました。 娘が小さかった頃。 毎日毎日 急いで職場から帰っては 家事をしていたあの 忙しい暮らし。 今ではすっかり おじいさん、おばあさんの生活になりました。 あの日の暮らしの音が とても懐かしくて

          窓をきちんと使う断捨離

          風。風を。窓を開けて風を入れる。 本日休みをもらって、主人と粗大ゴミ搬入してきました。 (;´Д`A 早めに行ったのに清掃センターには車の列が出来ていて、つくづく「どこの家も不用品あるんだなぁ」と感じましたねぇ。 義父の本棚に、何十年も鎮座していた文学全集70巻、うち14巻1冊が所在不明。重量にして約60キロ。 日本大地図、世界大地図数冊、重量にして約20キロ。 BOOKOFFにも当然引き取ってもらえず処分。 これじゃぁ家も傷むわなぁ。 今回片付けを始めた目的は

          窓をきちんと使う断捨離

          終戦記念日の地球儀

          最近メルカリでこの地球儀を買った。 私は無知のかたまり。 世界の国々と日本との位置関係が全くわかっていない天才的なアホ。 やっとこの歳になってたまらなく知りたくなった。 お恥ずかしいことに、初めて知ることばかりだ。 主人は私がいちいち口にするバカっぷり丸出しの言葉に呆れている。 でもさ、「無知の知 むちのち」という言葉は知っていたんだよね。 「自らの無知を自覚することが真の認識に至る道である」 地球儀はすごい。立体的だからわかりやすい(笑) これだけある世界の

          還暦すぎた断捨離

          ここ最近とても感じるのは 「シンプルに暮らしたい」ということ。 実は60代になった頃、年をとるのが怖かった。 写真を撮ると、毎回自分が知ってる自分が写らなくて。 60代ってこんななんだぁ、ヤバいな、この先いったい どうなっちゃうの?って落ち込みました。 ある日、しばらくぶりに会った娘が 「オカンその服いいじゃん!似合う!そういうのどんどん着ればいいよ!」と褒めてくれたのです。 え⁈ マジか〜⁈ その日選んだのは「もうどうせ服なんてどうでもいいや」と、 自分では好き