三木卓「ほろびた国の旅」

あらすじ:1954年、大学受験に失敗した「ぼく」(三木卓)は、子供の頃を過ごした1943年の満州・大連にタイムスリップしてしまった。満州国があと2年でなくなることを知っている「ぼく」は、怪しい人物として憲兵に追われ……

三木氏は元々児童書の執筆やアーノルド・ローベルの「がまくんとかえるくん」シリーズの翻訳などで名を知られているが、本作はその原点に当たる著者初の児童小説だった。

話の軸は、落第生の三木卓氏本人がひょんなことから昭和十八年―1943年の満州国(タイトルの「ほろびた国」)の大連へのタイムスリップをきっかけに、氏の幼年期には充分見えなかった民族間の差別の、酷たらしい実態に触れていくところにある。

また三木氏自身、幼少期を大連、奉天、新京で過ごし、43年当時八歳だったという、本作には私小説的な要素を見てもいいと思う。


本作の表紙にはもうもうと黒煙を吐く機関車が描かれている。これは「あじあ号」である。注を引くと、
「一九三四年から四三年まで、大連〜ハルビン間九四三・三キロを、最高速度時速百三十キロで、十二時間三十分をかけて走っていた特急列車。多くの日本人が一度は乗ってみたいとあこがれたが、太平洋戦争の状況が悪化すると、四三年二月、運転をとりやめた。」

作中後半の舞台を果たすこの「あじあ号」は、だが結局、

すぐそばに、めちゃめちゃになったあじあ号が横だおしになっていました。まっぷたつに裂けた機関車からは白煙があがっていました。客車は車輪を空のほうへむけ、マッチがひしゃげたようにつぶれていました。
(略)
これが東洋一の超特急のむざんな最後でした。

p202.203

大日本帝国の大東亜共栄圏や五族協和、八紘一宇に代表される、侵略戦争の実態を覆い隠すスローガンの象徴のように「むざん」に壊れる。

「あじあ号」以外にも、当時の満州にあった様々な風物は二十一世紀生まれの筆者には知らないことばかりで、たとえば「満鉄」―正式名称「南満州鉄道会社」―「の電力供給量を誇示し、満鉄の力を宣伝するのにも役立っていた」という電気遊園地、「駆逐・水雷」という変則鬼ごっこなど、いずれも初めて聞いた。

だが、「あじあ号」や電気遊園地のように単独で見れば美しいもの、華やかなものも、

(略)ぼくの幼いころのたのしい思い出は、みんなくだけちってしまって、ぼくは思い出の財産をみんな失ってしまったこじきになってしまいました。
ぼくのたのしい思い出をつくるために、どれだけの人びとがその犠牲になっていたか、ということを知ってしまったからです。

p192

戦争は多様な形で、そこにいる全ての人間を損なう。


その他、特に記憶に残った下りを二つ引用する。

ぼくと父の会話

(略)(※父に対して)しかしあなたは、『人殺しの学校へ行くのをやめろ』と言ったことはありましたか?」
(略)
ぼくは、まっくらな気持ちになっていました。こうして、子どもたちは、みんな、満州人も日本人も、朝鮮人も、だれも、みな、正しく成長することはできないのだ。みんな時代の毒のなかで傷つきながら生きていくよりないのでした。(略)
「(略)……あなたが言いたいことを言うのをおやめになったのはいつですか?」
「そう……それは……きびしい問いだ……。あなたは、思想(略)、思想家という言葉を聞くと(略)ふつうの人間では及びもつかないような考えや思想の持ち主のように思うだろう。(略)しかし、思想というのは、必ずしもそんなむずかしいものではないのだ。それはだいたいが平凡なことなのだ。ただ、(略)そのことを守ることに対する勇気やがんばりのあるなしがとてもおおきな問題なのだ。(略)わたしは、だまった。それは、わたしが自分の子どもたちを守ろう、と思ったときかもしれない……」

p188.189


小説の最後、「ぼく」は再びタイムスリップし、昭和二十年―1945年に来てしまう。
「いつわりの国満州国は、その終わりになって、罪のないたくさんの人びとを傷つけ、殺しながらほろびていったのでした。」

そこに「からだをやすめている子どもたちのからだの影が、六つ、七つ、八つ……と見え」る。

みんな、じっとして動かないで冷たくなっているのでした。この土地で働いた日本人の子どもでした。(略)この子たちは、おとなの罪のために、また土へ帰ったのです。いや、日本人の子どもだけではない。たくさんの、色んな国の子どもたちが、満州の土の上で死んだのです。なんの理由も意味もなく殺されたのです。
ぼくは(略)つもった落ち葉をよせて集めて、ひとりびとりの子どもたちをおおってやりました。子どもたちは、ちいさかったので、ちいさな黄金の山が次々にできあがります。(略)

p213.214

本作の最後はこのような文で終わる。

(略)
ぼくたちの子どもだった日々は、ふしあわせだった。国境が、差別が、政治が、ぼくらをともに未来をつくる仲間にさせなかった。
国境をこえて、あのときの子どもたちの力が堅く結びつく日はいつだろう。
自由に、平等に、人間同士の友情がかわされ、愛と平和に満ちた世界をいっしょにつくる日はいつやってくるのだろう。
ぼくはそんなことを思いながら、たそがれの雑踏を歩いていきました。

p220

本作は1969年出版、実際書き出されたのは1965年にさかのぼるという。
2024年―もうすぐ60年が経とうとする今日、「自由に、平等に、人間同士の友情がかわされ、愛と平和に満ちた世界をいっしょにつくる日」は果たして来ただろうか。


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