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その頃は必死で全力だった。〜いじめの加害者〜

それは小学6年生。

肌の黒い、年中半袖短パンの子がいた。
日本人の名前だったけど、
黒人のクォーターの男の子だった。

わたしは4年生の時に、その学校に引っ越してきたが、その時から(或いはそれ以前から)その子はいじめられていた。

同じクラスになったのは、6年生の時だったが、
転入当日から「あの子には近づかない方がいい」と言われたのを覚えてる。

臭いわけでも、性格が意地悪なわけでもない。

ただ、人と少し見た目が違うだけ。

しかし、
当初は、人と見た目が違うことが如何なることより不自然であった。

その子がいじめの対象であることは、特別な説明など不要であった。

その子が触った箇所は、「エキス」として
いろんな人に渡った。

そして、その子の机を運んだ手は「エキス」がついているからと、誰かにタッチして移さなければならなかった。

途中でその下りがめんどくさい、くだらないと思えるようになったのは、卒業間近の残り3ヶ月くらいだっただろう。

別に悪い子ではなかった。
なのに、同調圧力というものだろうか。

悪いことをしているという自覚があるのはこちらなのに、
やっぱりその子は避けられたり、他の子とは違う扱いを受けていた。

そして、わたしもその悪の同調圧力の一員であった。

司令塔がいたわけではない。
みんながやっているから。

その頃の自分は、
悪いことをしている「気がしている」のに、
逆らえない、自己がない未熟な人間であった。

そのせいで、
皮肉にもそのおかげで、
私がいじめられることも、嫌な扱いを受けたことも一度もない。
そのせいで、
皮肉にも他人との「協調生の必要性」にはずっと付き纏われたし、むしろ得意分野になっている。


それから15年が経とうとしている現在。
時が立ちすぎた今。

改めて考えさせられる。

差別やアイデンティティや自己について。

その時にはわからなかった、哀れな未熟な自分。
実際に加害者であった自分。

いじめに対して、他人事ではない現実を思い出す。

その頃の経験・記憶を決して美化はできないけれど、
感じていた「違和感」に関して、
これからの人生では大事にしていかなければならない。
それしかできない。

誰かが・みんなが・昔から、、、、やっているから。。

だからやるのではなく。

わたしの物差しで物事を判断しなければならない。

その物差しを磨くために、
日々色んなことから感じたり影響受けたりして、前に進み続けたい。止まらない。
止まってはいけないし、過去を美化してはいけない。

同じ過ちを犯さないこと。

あの頃の自分は決して肯定できないけれど、
それも自分であることには変わりない。

ならば、なにができるか。

未来の自分を肯定できるように、
進んでいく。
起きてしまった、してしまったことは取り戻せない。
反省はするが、その人の心の豊かさまで償えない。
なにができるか。
同じ過ちを起こさないこと。
出来るだけそのような人が増えないように発信すること。

それしかない。

著書: ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

この本を読んで蘇った記憶。
この時代だからこそ考えさせられる。

その頃しなければならなかった行動。
今行動しなければならない行動。

顧みて進む。

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