安彦麻理絵

1969年生まれ、山形県出身。双子座・B型。漫画・エッセイなど書いてます。89年「ガロ…

安彦麻理絵

1969年生まれ、山形県出身。双子座・B型。漫画・エッセイなど書いてます。89年「ガロ」にてデビュー。著作「再婚一直線!」「ババア★レッスン」などなど。

最近の記事

ババア☆レッスン(その12・あれから1年たちました)

 2022年12月末日。私の母が急死した。享年75歳。 あれから1年たちました。  自宅で晩酌してた夜8時頃。 母方のいとこのおじさんから電話が入った。 このおじさんから電話をもらうのなんて初めてだったので「何だろう?」と思って出た所。「ヤエコさん(私の母)が、息してないんだけど」と言うではないか。 私の父からおじさんに「ヤエコがトイレに行ったっきり戻ってこなくて、様子を見に行ったら倒れていた」という連絡を受け、慌てて駆けつけたそうである。 「・・・息してないの?」と、私。

    • ババア☆レッスン(その11・中年のバイト事情・後編)

       さて。2月上旬、世間は受験シーズン真っ只中である。 某・女子大付属中学の受験にて、試験監督員のバイトをやる事になった私。 監督員説明会で見事に撃沈、「仮病使ってやめさせてもらおうか」という思いが一瞬頭をよぎったが、しかし、「それをやっちゃぁ、おしめぇよ」である。大の大人が責任放棄して、逃げてどうする、腹括らなくてどうする。  結局私は試験当日まで、蛍光マーカーを使って、何度も何度もマニュアルを覚えこむに至った。  そして、試験前夜と試験当日の朝は、一切食事を抜いて仕事に向か

      • ババア☆レッスン(その10・中年のバイト事情・前編)

         今から遡ること約2年前。実は私、バイトしてたんである。 「なんで?」と思われそうだが、理由は明快である。 「仕事がなくて、どヒマこいてた」。 漫画の仕事はどーした?と突っ込まれそうだが、「ソレがないからバイトしてた」わけである。とにかくヒマだったのである。ヒマ。  考えてみれば、30年くらい漫画の仕事をしてきた。その事実を踏まえると「漫画家としてのプライドはないのか?」というさらなる突っ込みが入りそうだが、答えは「ない」。ないからバイトをやれたわけである。  それにつけ

        • ババア☆レッスン(その9・出産、4人目)

           さて。 このタイトルを見て「・・・え?4人目??」と思った読者の方もいらっしゃるだろう。若い頃は「子供、全然欲しくない!」と言ってた女が、出産4人目。  個人的には「まぁ、3人というのはアリだろう」と思っていた。世間でも「三兄弟」とか「三姉妹」というのは存在する。子供が3人というのは特にめずらしい事ではない。しかし。 「4人」となると途端に「え!!?」な反応を示される。  というわけで、ご安心(?)下さい。この出産物語は4人目で終わりです。 次男を産んだその2年後、42歳の

        ババア☆レッスン(その12・あれから1年たちました)

          ババア☆レッスン(その8・出産、3人目)

           3人目の出産は40歳の時だった。父親は、2人目の時と同じ男である。バツ2にはならなかった(今後も、なる予定はない、多分)。   「雑な子宮保持者」である私は、またしてもシレッと妊娠したわけだが、その妊娠発覚時の事は、なかなかに忘れがたいエピソードとして記憶に残っている。  その晩、私は編集さん達と新宿で飲んでいた。あははアハハと陽気に楽しく飲んでいた。そこまでしたたかに飲んだつもりはなかったが、相当に泥酔してしまった。タクシーで帰宅後、とにかく吐き気が治まらず、朝まで便器

          ババア☆レッスン(その8・出産、3人目)

          ババア☆レッスン(その7・出産、二人目)

           一人目の長女は、最初の夫との子供である。 二人目は、再婚相手との子供である。 34歳で離婚して、確か37歳で再婚、38歳で二人目を産んだ。  世間ではよく、「産む時は大変だが、産んでしまえば、その時の苦しさはケロッと忘れる」と言われている。が、しかし。 ・・・・・私は忘れなかった。ネチネチとネチっこく、ず〜〜〜〜っとしつこく忘れなかった、あの壮絶な、絶叫を伴う激痛。 なので「出産はもうこりごり」だったのだが、なんと再婚相手の夫が「子供が欲しい」と言うではないか。 本当に欲

          ババア☆レッスン(その7・出産、二人目)

          ババア☆レッスン(その6・出産、一人目)

           若い頃、20代の時は「絶対、子供を産みたくない」と思っていた。 何故か。答えはアホみたいに簡単だ。陣痛への、圧倒的恐怖である。 そして身勝手ではあるが「今の自分が変化する事への不安」。 「母親」という存在になったら、自分はどうなってしまうのか。  最初の結婚は27歳の時だったが、その時も、結婚したからといって「子供が欲しい」とは1ミリも思っていなかった。当時の夫も特に「いつかは子供を」などとは言ってこなかった。  それなのに、30歳の時に「うっかり」妊娠してしまった。 「

          ババア☆レッスン(その6・出産、一人目)

          ババア☆レッスン(その5・スクールカーストの、上と下)

           高校時代(女子校)の同級生に、「何でも持ってる」ように見える女の子がいた。 「何でも持ってる、ってどういう事だよ?」と思われるかもしれないが、文字通り「何でも持ってる」である。その子の名前を、仮にAちゃんとしておく。  Aちゃんは、気さくで人懐っこい、笑顔の可愛い女の子だった。 顔だけでなくスタイルも抜群だった。腰の位置が高く、手脚もスラリ。 そんなふうだから、走る姿はまさしく駿馬。運動神経も抜群だった。  そして実家がどうやら金持ちらしく、絶対、地方の田舎町では売ってない

          ババア☆レッスン(その5・スクールカーストの、上と下)

          ババア☆レッスン(その4・ため息ごとの、ジュ・テームな声)

           先日、昼の歌舞伎町を歩いていたら「やたらと前髪に命かけてるみたいな女」を見かけた。ヘアアイロン使って、しっかり可愛くアイドル風味に仕上げている。推定年齢19〜20歳くらいだろうか。小動物のようなクリクリの目に、チークを効かせたメイクで幼さを前面に出している。 そんな女が「どうもありがとうございましたぁ〜〜♡」と、ジジイにお礼を言ってる所に出くわしたのだ。 「元・社会科教師」のような風情の、70代くらいの白髪のジジイがその女に「いいんだよ、いいんだよぉ〜〜」と返している。 女

          ババア☆レッスン(その4・ため息ごとの、ジュ・テームな声)

          ババア☆レッスン(その3・君たちはどう親の葬式をあげるか)

           私は東北・山形県内の、ど田舎出身なのだが、私が子供の頃、昭和の時代は「葬式は自宅で」が普通だったようである。葬儀屋が出入りしてたような記憶はない。全て、近所の人や親戚総出で執り行ってた気がする。  祖父母が死んだ時も、必ず近所の女衆が手伝いに駆けつけ、大量の葬式料理をこさえていた。しかも母方の実家では、弔問客一人一人に、旅館のごとくお膳に料理を並べてふるまってたのには、子供心にびっくりした。 男はホトケ様を前にして泣いたり酒飲んだり、女は忙しく台所と座敷を行き来する。子供は

          ババア☆レッスン(その3・君たちはどう親の葬式をあげるか)

          ババア☆レッスン(その2・1998年、トミーとヒコ)

           わたくしアビコと占い師の日下ゆにさん、作家の大泉りかさんの3人で、月イチくらいのペースでやってるトークイベント、「サブカルおばさんが通う学校・ドクダミ女学院」(@高円寺パンディット)。  毎回、サブカルにゆかりのある中年層のゲスト様を講師としてお招きし、様々な生き様トークで、サブカル中年ライフをご教授して頂く趣旨のイベントである。  今まで色々な方に講師として来て頂いたわけだが、先月、6月のゲストは映画監督の冨永昌敬くんと、俳優の杉山ひこひこくんであった。 (ちなみに今まで

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          ババア☆レッスン(その1・カーナビの設定はもう済んだ?)

           いきなり「ババア」である。 ドン引きした方もいらっしゃるであろう、ババア。 しかし私は「ババア」というフレーズが好きなのである。 逆に、どちらかと言えば「オバさん」というフレーズの方が苦手である。 「オバさん」という呼称から漂う「私も今じゃ、すっかりこんなんなっちゃって」感がイヤなのである。 だから本音を言えば、森高には「私がオバさんになっても」ではなく、「私がババアになっても」というふうに歌って欲しい。私がババアになったら、あなたはジジイよ。  というわけで、私は断然、バ

          ババア☆レッスン(その1・カーナビの設定はもう済んだ?)

          着物、はじめました。(その17・ヤフオク狂騒曲)

           ・・・・あなたは。 ヤフーオークション、通称・ヤフオクで、欲しいものを競り落とした事がおありだろうか? 私は、ある。 喉から手が出るほどに欲しいものを、競り落とした事が、ある。 いや、詳細に説明すると、最初は「喉からちょこっとだけ手が出てる程度に欲しい」だった。それが、オークションが進むにつれ、「喉からガッツリ腕が飛び出るほど欲しい」になっていったのである。もはや、化け物である。オークションは普通の中年女を、一瞬で化け物に変える力を持つ。  昨年、夏。 猛暑の中、私は薄ぼ

          着物、はじめました。(その17・ヤフオク狂騒曲)

          着物、はじめました(その16・祝☆8周年、ベベンベンベン♫)

           着物沼にどハマりしてから、今年の6月で丸8年になる。 まぁ、コロナ渦で着物と疎遠になってた時期もあるが、それでも何気に「8年」という月日が流れてた事に驚いている。  8年も経てば、そりゃぁ着始めた当初よりはマシに着られるようになった。いわゆる「眉間にシワ&アブラ汗かきまくり」状態には陥らなくなった。どうやら体が手順を覚えたようである。私の体も、案外アホではないようだ。とはいえ、それでも着付けには20分くらいかかってしまう。  そういえば、昨年だったか「2日連続で着物を着る

          着物、はじめました(その16・祝☆8周年、ベベンベンベン♫)

          着物、はじめました。(その15・姐さん降臨!!七緒「魔法の15分着つけ」著者、山村若静紀さんにお会いしたのだ☆)

          ここ数年あたりで着物にハマった人なら、多分読んでる人も多いと思う。 お洒落な着物雑誌「七緒」から出てるムック本「魔法の15分着つけ」。 かく言う私も、実はその読者の一人である(こちらの本は、本名である「堀口初音」さん名義で出版されています。「山村若静紀(わかしずき)」というお名前は、日本舞踊山村流師範としての芸名なんだそうです)。 「15分でっっっ!!!」と言い切る、その力強いタイトルにほだされ飛びついた、着物1年生時代。鼻息荒く、新宿紀伊国屋書店にて購入した。 その後は、

          着物、はじめました。(その15・姐さん降臨!!七緒「魔法の15分着つけ」著者、山村若静紀さんにお会いしたのだ☆)

          着物、はじめました。(その14・続ほんとーにあったコワ〜イ?話)

          さて、そんなわけで。 ようやくローンの契約をする段階までこぎつけ、そこの呉服屋と提携してるという「〇〇ファイナンス」とやらの書類に名前などを書き込んでいたら。 「お客様っっっ!!!」 またしてもヒカキンが、なにやら手に反物を携えて近づいてきた。 「こちらも是非見て頂きたいんですっ!!これ、〇〇織の薄羽織の反物なんですけどねっ!!」 「・・・・・・・・・。」 ・・・・この、激しい「推し」は、一体いつまで続くのであろうか? 呉服屋無限ループ。これではいつまでたっても帰れない。

          着物、はじめました。(その14・続ほんとーにあったコワ〜イ?話)