ババア☆レッスン(その11・中年のバイト事情・後編)
さて。2月上旬、世間は受験シーズン真っ只中である。
某・女子大付属中学の受験にて、試験監督員のバイトをやる事になった私。
監督員説明会で見事に撃沈、「仮病使ってやめさせてもらおうか」という思いが一瞬頭をよぎったが、しかし、「それをやっちゃぁ、おしめぇよ」である。大の大人が責任放棄して、逃げてどうする、腹括らなくてどうする。
結局私は試験当日まで、蛍光マーカーを使って、何度も何度もマニュアルを覚えこむに至った。
そして、試験前夜と試験当日の朝は、一切食事を抜いて仕事に向かった。
というのも実は私、極端に腸が弱いのである。緊張が続くとすぐ腹を下す。
だから、胃と腸を空っぽにして挑んだわけだが・・・・それでも当日の朝は、何度も腹を下してしまった。
「試験中にまた腹痛くなったらどうしよう・・・!?」
下痢と腹痛と脂汗と私・・・・そんな地獄絵図を思い返しただけで足がすくんだ。
てなわけで、震える足取りでフラフラになりながら現地に到着(てか、受験生の方が、よほどもっと緊張してるだろって話だが)。
待機室では、他のおばさん監督員達がおしゃべりに夢中になってる。
「・・・なんでそんなに余裕があるんだ、この人達・・・」
緊張をおしゃべりで紛らわせているのか、それともただ単に、おばさん特有の図太さを炸裂させてるのか。
そしていよいよ、1時間目の試験に突入。
教室内の30人の受験生を目の当たりにして、またしても足が震え「おはようございます」という声まで一緒に震えてしまった・・・何度も言うが、本当は受験生達の方が緊張してるであろうに。
とにかく試験開始までに、やらねばならぬ作業を終えねば。その時間、15分。
受験票チェックや併願校調査用紙の配布&回収。そうこうするうちに「問題用紙と回答用紙を配って下さい」のアナウンス・・・・・・・私、このプリントの配布で、発狂して死ぬかと思いました。
なにしろこのプリント類、紙が重くて滑って配りづらい。それで2種類のプリントを落としそうになる(・・・・今でも思う、あの時床に、派手にバサァっと落としてたらどうなてったんだろう・泣)。
試験開始のアナウンスが始まるまで、約5分。途中何度も「ホントに時間内に配り終える事が出来るのか!!??」と、頭が真っ白、心臓がバクバクして泣きそうになった。
そして校内アナウンス「試験を開始して下さい」が流れたと同時に、慌てて最後の受験生に配り終えた。本当にギリッギリだった。
この時の緊張は軽くトラウマと化してて、正直もう思い出したくないくらいである。
そんなわけで、次の試験までの休憩中、待機室で隣に座ってたおばさんに、思わずポロっと愚痴ってしまった所。
「ホントに配布する時間、短すぎよね!!」と、おばさんもご立腹。
「だからもうね、一人一人丁寧になんて配らなくていいの、そんな事やってたら絶対間に合わないから!!もう、2列同時にババババって配っちゃえばいいのよ!!」とのアドバイスを頂いた。この方も、配り終えるのが本当にギリだったらしい。
この時私、本当に助けられたと思った。このおばさんのアドバイスがなかったら私、この仕事をやり遂げられなかったと思う。
とはいえ、その後も激しい緊張の連続で、昼過ぎに仕事から解放された時にはもう、白眼でボーゼン・脱力状態の有様だった。
てなわけで、2日目。
早朝、腹痛で目が覚めた・・・・朝っぱらから、ルーティーンのごとく下痢。前日の、あの恐ろしい事態を思い出すと、途端に腹が痛くなる。
この日は、例のおばさんのアドバイス「必殺バババ配り」を実行したので、なんとか時間内にプリントを配布する事が出来た・・・・・が。
「座席表」に記入する受験番号の書き間違えでミス連発。
おまけに、回収した答案用紙に名前を書き忘れてた子がいて、それをそのまんま答案保管室に持ち帰ったもんだから、ロッテンマイヤーさんに大目玉をくらった。
「回収した時にちゃんとチェックしなかったんですかっっ!!!(クワッッ!)マニュアルにも書いてあったのに、読んでなかったんですかっっ(クワワッッ)!!!!」
・・・・本当に平謝りするしかなかった。そして、名前書き忘れた子はどうなってしまうのか心臓鷲掴み状態になったが、間に入ってくれた先生が「こちらで対処しますから」と言ってくれて事なきを得た。
・・・・その後、休憩中にまたしても、下痢。
その日は猛烈に落ち込んで、仕事帰りに成城石井で散財やらかしてしまった。
そして、受験最終日の3日目。
この日も朝から当たり前のように、下痢。
今回は急遽、受験生の受け付け係も頼まれていたので、無事やり遂げられるか、またしても緊張のトルネード状態。
集合場所で死んだ目つきで立ってたら、待機室で一番おしゃべりなおばさんに話かけられた。
「私も今回、受付初めてなのよ〜〜〜〜!!!」
バイト始めた初日は、おしゃべりに夢中なおばさん達が理解不能だった。しかし、こうして実際話してみると、緊張が緩むのか、自然と自分の顔にも笑顔が浮かんでた。
受付は二人1組でやる事になっており、私は未経験という事で、経験者のおばさんと組ませてもらえた。
というわけで、そうこうしてるうちに受験生達が続々と到着。
インカムを手にした学校側のスタッフがものものしくなり、私はまたしても緊張の渦に引きずり込まれた。
しかし、一緒に組んだおばさんが「うちの娘の受験の時はね〜〜」と、色々世間話をしてくれて、そのおかげで徐々に緊張もほぐれ、なんとか作業をこなす事が出来た。
「なんか私、色んな人に助けられてるなぁ・・・・」
受付作業をこなしながら、私の頭の中で、ふと、そんな思いが湧いてきた。
その感情を噛み締めてるうちに、何故だかうっかり泣きそうになった。
そしてその後も「とにかくこの後も、何事もありませんように・・・!!」と、泣きの入った神頼みで試験監督に挑み、どうにかこうにか任務を終えて、3日間のバイトは終了した。
仕事帰りに磯丸水産で生ビール飲んだのだが、ボーゼンとしてしまって、バイトが終わった事が信じられなかった。
さて。
その後も私がこの「試験監督員」というバイトを続けたかというと。
・・・・続ける事が出来なかった、どうしても。
色々悩んだ。「やっぱ慣れだろう」とも考えた。しかし。
その「慣れる」までに、私は一体どれくらいの量の下痢をしないといけないのか(汚い話で恐縮です)。
なんというか、自分はこの3日間で、「一瞬で総白髪になりそうな瞬間」を何度か味わった。思い出しただけでも・・・・というか、本当にもう思い出したくないので、これ以上は割愛という事で。
「昼食は手製の弁当で☆」なんて当初は目論んでたが、実際はきっと緊張のせいで、弁当なんて食べてる余裕もなかっただろう。
てなわけで、Amazonで注文してた肝心の弁当箱。
バイト終了後しばらくしてから、ようやく私の手元に配達されたのであった(なんであんなに遅かったのか)。
というわけでその後。
「また何かバイト探そう!」と思い立ち、「とある福祉系の仕事」を発見。学歴・経験不問との事で「これなら私にもきっと出来る!!」と力強く思い、履歴書を送付。「面接には、メルカリで買ったあのスーツを着て行こう」と意気込んでたのだが。
・・・・・・1週間後「不採用」の通知が送られてきたのであった・・・ガックリ。けっこうなショックであった。「・・・・何がダメだったんだろう」自分で不採用の理由を探ってみて、そして気がついた。私の履歴書の「職歴」欄。
そこには、20代前半にやったバイト2種類だけ。あとは白紙。
漫画家やってた事は、色々聞かれたらめんどくさいな〜と思って無記入。
きっと、バイト先側からすれば「この人、50代になるまでの30年間、一体何やって生活してたの・・・・?」と、不審がられたのではないだろうか?「履歴書に書けないような商売」という事で、「風俗でもやってたのか?」と思われてもおかしくはない。私の人生って、一体。
さて、ここで後日談。
監督員のバイトをするにあたって購入した、あの腕時計。
「もう、使わんだろ、こんな安時計」と思ってたのだが、ランニングをするようになってから、使い勝手のちょうど良さでヘビーユース。
そして件の曲げわっぱの弁当箱。長男が高校生になったのをキッカケに、これまたヘビーユースで大活躍なのであった。
無駄にならずにすんで良かった。
というわけで今日は、しょっぱい気分の景気付けに、この曲でも聴きますか。
映画「キューティ・ブロンド」の主題歌。
Hoku 「 Perfect Day」
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