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ババア☆レッスン(その6・出産、一人目)

 若い頃、20代の時は「絶対、子供を産みたくない」と思っていた。
何故か。答えはアホみたいに簡単だ。陣痛への、圧倒的恐怖である。
そして身勝手ではあるが「今の自分が変化する事への不安」。
「母親」という存在になったら、自分はどうなってしまうのか。

 最初の結婚は27歳の時だったが、その時も、結婚したからといって「子供が欲しい」とは1ミリも思っていなかった。当時の夫も特に「いつかは子供を」などとは言ってこなかった。
 それなのに、30歳の時に「うっかり」妊娠してしまった。
「うっかり」なんて言ってしまうのは、子供に対して大変失礼である、というのは重々承知なのだが、当時の私は本当に、自分の事しか考えてない人間だったのである。妊娠検査薬で「陽性」と出た時には、相当動揺した。
そして、産婦人科で診察を受け「予定日は12月◯日頃になりますね」と告げられた時は「もう、逃げられない所に来た」という事を悟った。

 とはいえ、不思議なものである。
自分の事しか考えてない人間であった私は、出産に対して恐怖や絶望という、およそ妊婦らしくない感情に支配されていたのだが。
それとは裏腹に「今、私の腹の中には別の命が存在してる」という、不思議なフワフワとした高揚感も漂っていたのだ。これが「女性ホルモンの仕業」ってやつなのか。恐怖・絶望、時々お花畑。
 あの時の私は、そんな感情の起伏が激しすぎて、本当に疲れ切っていた。原稿の締め切りに遅れまくって、出版社の方々には多大な迷惑をかけた。感情的になりすぎて、友達にも迷惑をかけた。

 自分の事しか考えてない人間であった私は、妊娠で、体型がどんどん変わっていく事にもナーバスになっていた。胸がどんどん巨乳化していき、体重もどんどん増えていく。頭の中が「何か食べたい!!!」という、食欲のバケモノに支配され、食パン1斤をヌテラ塗りたくって全部たいらげてしまった時には「やっちまった感」で絶望に陥った。道端に吐かれた酔っ払いのゲロを見ても「はあぁ〜、焼きビーフンかぁ、うまそうだな〜♫」なんて思いを馳せる始末である。自分は狂ってるのかと思った。
 そんなふうだから当然、医者には「食べすぎるな、体重管理をちゃんとしろ」と、毎回毎回怒られる・・・・・地獄である。
妊娠中の体重増加は5〜6〜7キロ?くらいで抑えるようにとの指導があったが、結局私は10キロくらい肥えていた。

 「今、自分は妊娠している」という状態を、なかなか素直に受け入れられなくとも、妊娠中期にもなれば、下っ腹はなんとなくふくらんでくる。そんな時であった、あの、小さな小さな子猫を3匹拾ったのは。
 いつも通り、犬の散歩をしていたら、草薮の中からミャーミャーと鳴き声が聞こえてくる。藪の中を探ったら、小さな子猫が3匹。あたりに母猫はいない。どうしようかと迷ったが、そのうちお母さん猫が戻ってくるのではと思い、その場を離れた。
が、どうにも気になって仕方がない。元・夫の帰宅後、事情を話して例の場所に行ったら、子猫達はまだ泣いていた。カラスの餌食になりそうな気がして放っておけず、そのまま家に連れて帰ってしまった。

 とにかく温めなければと思いタオルでくるんだ。元・夫が子猫用のミルクを買ってきて、それを飲ませた。そうしたらなんとなく元気になったような気がした。
 翌日、動物病院に連れて行って、医者が栄養剤的な注射をしてくれた、
しかし。
「でもね、こんなに小さい猫はすごく弱いからね」
医者からの、この子達への警告。
とにかく死なせるわけにはいかないので、必死になってミルクや排泄の世話に励んだ。
 しかし、数日もしないうちに、猫達は1匹、また1匹と死んでしまった。
そして、最後に一番小さい子が私の手の平の上で動かなくなった。
生き物が、自分の目の前で死ぬのを見たのは、それが初めてだった。
何もしてあげられなかった、てか、そもそも私があそこから連れてこなかった方がよかったのでは?そんな思いで顔をしかめながら泣いていたら、初めて胎動というものを感じた。
どうやら、胎児と母親の感情は、何か連携プレーしてるっぽい、と思った。

 というわけで、まぁまぁダメな妊婦であった。
「妊婦である事に自覚を持ちなさい!」と産婦人科でも怒られた。

「世の中には、子供が欲しくても持てない人がいるのに」という、巷でよく聞く、このセリフ。
何故だかヤンキーはやたらと子宝に恵まれ、虐待とかやらかす夫婦も子供をボコボコ産んでる、それなのに、というこの現実。
私もその一派と思われても仕方がないと思っている。
私の子宮は「雑な子宮」なんだと思っている。

 それでも。
自分の事しか考えてない私が妊娠して、初めて、自分よりも大切なものがあるという事を知った。

 さて。
 後は「閲覧注意」ならぬ「閲読注意」?となるのだろうか、麻酔なしの普通分娩。
まぁ、切腹をしたらあんな感じだろうか、とか。アイスピックで腹をザキザキに刺され掻き回されてるようなとか?陣痛の痛みは人それぞれである。
麻原彰晃のように尊師座りしてたら楽になったという友人もいた。絶叫の波とともに尊師状態。
 考えてみれば、「あまりの痛みに絶叫する」って、そうそうない事である。今思えば「ギョエうえええええ〜〜!!!!」という、相当うねりの効いた声だったと思う。トルネードな絶叫。そんな阿鼻叫喚状態の私のそばで、一人、昼飯を食べる当時の夫。殺してやろうかと思ったわ(笑)。
結局、トータル7時間くらいギャァギャァ暴れまくったか。いきめどいきめど赤子は出てこない。こんなに激痛なのに、自分が生きてる事が不思議だった。最後は看護師さん3人に「アンタら、全体重かけてるだろ!?」ってくらいの、もの凄い力で腹を押されて、赤子は外に出てきた。

 女の子だった。生まれてすぐに、私の胸の上にのっけられて対面した。
そして、「今までほんとうにごめんなさい」と、彼女に対して、心から詫びた。


 退院する時、当時の義父が車で迎えに来てくれた。
その時、車内で聴いたのがYMOの曲。1週間ほど世間と隔離された空間にいたからだと思う、たった1週間でも。
乾いたスポンジに水が染み込むがごとく、YMOの音を身体中で浴びた気がした。あまりに良すぎて泣きそうになった。

YMO「Perspective」 

 

 



 

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