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最近よく出る話 ハイライト

意思疎通


恋人又は友人、家族まあなんでもいいんだけれど
”私は〜をされるのが嫌です”
と自分Aが言った後の 相手方”B”の反応を見れば
①相手の人間性と②自分に対する向き合い方が良くわかるよねという話が良く出ていた
ここ最近も私の周りでそんなやり取りがまさにあったのだけれど

一番へんてこりんな回答だと思ったのは B1だったけど

example(以下EX)B1 話し合いをしよう ディベートしよう(?)
ex B2 責められたことにキレる
ex B3 言い訳する

どのBもAの ” 嫌だった ” 気持ちにはまず第一に興味がない
それよりも自分の感情の優先度が高く、非常にまあ希薄な人間関係だなーと思った 

” 痛いから殴らないで! ”と言ってる(A)に対し
なんで痛いのか議論しよう(B)

とは一体どういうことだよ と思った。


Aの言い方によるところもあるだろうが

恋人又は恋人候補ならすぐ撤退すべきだ

友人でもやはり軽い付き合いにしておきたい(知り合い程度)

後輩ならもはや社会の常識を知らない(私なりの社会常識だが)プッシュバックするなんて後輩である限りあり得ないのでもう最悪

少なくとも対応として間違えている
対応が間違えている、出来ないので頭が悪い
人間性が悪い?もしくは
こちらも大切にする対象ではないし少なくとも大事だとは思われていないしされていない
と判断することが出来る

とまあ極端に言うと思った

私は一旦謝ることのほうが多い(相手によるが)
大事な相手なら反抗せず変える以外にない

嫌だったのかーと思うしかない(マウントトーク以外は)
そして理由は考える

その立ち回りはアメリカの訴訟であれば不利なのだろうけれどね

非常に残念だな
怒ってるのにもっとがっかりさせる気か

と思ったはなし

ただ相手との関係性のひとつの指標にはなるだろう


思考によって行動を変化できるのか
行動によって思考を認識するのか

ハイトの前にチラ見した象使いと象の話を思いだした

ハイトは、人間の欲求や感情の強さと、それをコントロールするはずの意志や理性の弱さを、「象(欲求・感情)の背中に乗った象使い(意志・理性)」と表現する。自分自身の行動について、理性にもある程度はコントロールする力があるが、主導権は感情に握られている。「私は手綱を握り、あっちへ引っ張ったり、こっちへ引っ張ったりして、象に回れ、止まれ、進めなどと命令することが出来る。象に指令することはできるが、それは象が自分自身の欲望を持たない時だけだ。象が本当に何かしたいと思ったら、私はもはや彼にかなわない。」

 仏陀・プラトンフロイトは、感情を動物(野生の象や馬車)にたとえて、理性の役割は感情を制御し運転することだとしたが、20世紀以前の人物である彼らは数多くの家畜動物に囲まれて生きており、自分よりも大きな生物に自分の意思を伝える苦労を理解していたはずである。象と象使いのメタファーには、意志の力によって感情を制御することは難しい(ほとんど不可能)という意味と、感情は意志からは自律しており意志よりも優れた判断をすることが多い、という意味が含まれている。

https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2014/01/02/232257

そして

もしもBが ”へんてこりん ”だとして

その後の自分が ”へんてこりん” にどう対応、行動し
どんな感情を抱くのかによって

へんてこりん に対する
自分の感情を俯瞰する指標にも なるだろう