見出し画像

映画の半券

映画館のチケットを購入すると半券があった。入場のときには必ずと言っていいほど半分を切り離して、映画をみる。最近の映画館には、それがない。つい先日までは、そんなことなかった。

 恋という映画を見るために差し出してきた半券。私にとっての半券。そうそれは彼に差し出すものだった。彼に自分が育ってきた半分を渡してきた。そしてお互いに交換して、愛を確かめ合っていたのかもしれない。今となっては、身勝手に許可も得ることなくチケットを購入してそのまま、半券を交換してもらおうとせがんでみては断られ、もう早くも3年。そんなことを繰り返しては何度も映画の続きを見ようと何度でも購入を繰り返す。

いつか、見れるかもしれない。私の映画の最終回を誰かが亡くなったとか、傷ついたとか悲しい思いで終わらずに済むように何度でも。

映画の内容が悪いのではない。一緒に映画を見る人が私にとっての最良の人でなかった。そう。ただそれだけ。それだけなのに。

それだけなのに落ち込んでしまう。でも最近思う。落ち込めるほどに彼を好きだった。それが分かれば、自分がどんなに汚れていったとしてもその純粋さをまだ自分が持てているだけでも幸せだと安堵してしまう。少なくとも自分の半券を彼に差し出そうと準備していた証なのだから。

まだ、落ちるための銃の使い方は、体が覚えていて、ちゃんと使うことができるらしい。銃弾を放つことで自分が壊れてしまうとわかっていてもそれでも。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?