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支出が先!税金が後!いわゆるスペンディングファーストについて

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スペンディングファーストとはMMTで使われる用語です。これは何を言っているのかというと「政府の支出が先でその後に税を集めている」という事実を端的に言い表した言葉になります。

この話、税金で集めたお金、つまり税金が財源だと思っている人にとっては中々に面食らう事実で、すぐには受け入れがたい内容と思います。しかしです。よーく考えて下さい。あなたや私が持ってる預金や現金紙幣、硬貨は…

そもそも一体どこの誰が作ったものでしょうか?

そうです…

政府(日銀)ですよね!

なので、我々が預金なり現金なりを手に入れるには最初に政府がどこかしらに円という通貨を支出する必要があります。でないと、どうやったって手に入れることが出来ません。ちょっと考えたら…

当たり前!

の話なんですが、実はこれが中々理解されづらいという現実があります。それはなぜかと言いますと、お金という概念が生まれる前から人々は取引行為をしており、その中で概念としてお金が出来て…というように連綿とお金自体の存在は続いているため、まるで鉱物のような資源と同じ感覚ですでにそこにあるもの!と考えてしまうからです。さらにそれを補強するかのように古い時代から金貨がお金として存在しているため、余計に鉱物と同一視してしまいます。

例えば、日本で円を通貨として使い始めたのは明治になってからです。それまではいわゆる小判や朱銀、一文銭などの硬貨と米そのものが通貨となっていました。切り替える際にそれまでの通貨を回収したりするなどして段々と円に切り替わっていってるため、支出が先という認識が薄く元からあったモノの名称と形を変えただけと感じてしまいます。要はそれまでの貨幣が担保としてあったから切り替えることが出来たという認識になりがちです。

それでもです。明治になるまで円が単位の通貨は存在しませんでした。普及させるためには確実に円を先に政府が市中に流さないと絶対に普及しません。よしんば、以前の貨幣と両替する形でも、それは以前の貨幣とは単位が違うので確実な等価交換にはなりません。そもそもです…

政府がこれからは全ての通貨は円!

と決めた段階で以前の貨幣は通貨ではなく、価値のあるモノと同じ扱いになります。例えば現代で小判が見つかれば1両の単位で考えず、1枚当たり何円になるか?と考えると思います。言うなればかつての貨幣がレアなポケモンカードや遊戯王カードと同じような扱いになるのです。

なので、スペンディングファーストを突き詰めて考えると度量衡の統一に近いものがあると考えます。例えば、戦国時代で天下統一するまで各地域で秤や長さの単位がバラバラだったものを、天下統一を果たした時に時の権力者がこれからは「この単位で重さ長さを測れ!」と命じるのと近いと思ってます。今まで各地域にあった計りが消えるわけではなく、今まで測ったものは換算を行い、新しい測量は新しい規格で行う…と考えるとスムーズに理解出来るのではと考えます。

度量衡で考えると下記にある「スペンディングファーストの間違っている」ことを指摘する方に対して反論できます。

とある方のnoteの記事ではスペンディングファーストは間違っている!税が先だという主張していました。どういう主張だったかを簡単に説明すると、一例としてFRB設立の経緯を挙げ、それまで各銀行がそれぞれの銀行券を発行していたが銀行の規模により、それらの銀行券が等価では無かった。それでは不便なので1番規模の大きいところのみで銀行券を発行することになった。そして、そもそもは各銀行がそれぞれの信用創造で通貨を発行出来ることを考えれば、元々は別々の銀行券を発行していた銀行なのでここで生まれた通貨で税を支払ったら、それは政府が先に支出しておらず、各銀行の通貨発行が先に来ている!だから税が先という理屈です。

これって一見確かに…となりますが、先の度量衡の統一を考えて下さい。

先に政府が通貨単位を決めているからこそ、各銀行の信用創造で作られた通貨でも税が納めることが出来てるだけでは?

となります。別々の銀行券を発行していても流通している通貨の単位は同じです。この場合の各銀行間の銀行券が等価では無かった理由として当時の銀行券は兌換紙幣なので金貨をいつでも引き出せるかが、その銀行券が信頼出来る券かどうかに関わってきます。例え実際は貸出しも返済も銀行券でのやりとりになっていたとしても、金貨が裏付けという認識があるためです。つまり規模の小さな銀行ではストックされている金貨が、どうしても少ないので支払い義務に応じることが出来ない可能性があります。そうなってくると大きい銀行の銀行券と小さい銀行の銀行券で銀行間決済を行う際に各銀行券の需給に応じてトレードされることになります。さしずめ、発行数の少ない硬貨や印刷ミスのある紙幣は高値で取引されているのと同じ構図と言えます。書いてある額面は同じでも額面以上の価値が生まれています。しかし、価値を感じているのは民間同士だけであって、国家にとってはこと税として納める場合、民間の価値は関係なく額面通りの通貨として受け取ります。

それまで流通していた貨幣や歴史の流れがあるから何となく「お金」なるものがこの世に存在しているように錯覚してしまうからこそ、上記のような主張が出来てしまうのではと考えます。

ちなみに元の記事はどこの誰かは書きません。note内で自らの使った図が盗作されたと等の主張されており変な事になると嫌なので、リンクも貼りませんし引用もしません。詳しく知りたい方はGoogle等の検索エンジンでスペンディングファーストで検索すると、タイトルに「スペンディングファーストが正しくな理由」というようなnoteの記事が出ますのでご確認願います。

以上のようにどう考えても…

先に支出するのが正しいと考えます。

徴税が先と言えるのは米や麦のような税が物納の時代であればそうと言えるかもしれませんが、これですら…

収穫時期を待たなければ政府は何も出来ない事になってしまいます!

現実では御恩と奉公に代表されるように先に何かを出しています。物納の時代は支配者が元から持っていたモノを先に与えて支配が始まったのでは?と考えます。いずれにせよ、支配者層が何かを出すことから始まっています。

いかがだったでしょうか?最後まで読んで頂きありがとうございます😊


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