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[虚構という現実]経由[虚構という現実] -グループ展”BOLMETEUS” (-6/23)

 某日、渋谷のMIYASHITA PARK。

ステートメント Text: Eisaku Sakai

BOLMETEUS ボルメテウスは天界より人々に画像を与えた。人々は繁殖し画像文明を築き上げた。 いつしか画像は、みずから文明を駆逐し、自然そのものとなった̶̶。 ーボルメテウス書紀 創世篇

インスタグラムのフィードに流れる画像を眺める。スライド、スライド、タップ、スライド……。われわ れはこれを創造的な行為とは捉えていない。しかしその一方で、自動筆記のように無意識下で行われる取 捨選択のプロセスを通じて、無数の見えない根が張り巡らされ、無形の美的な生態系が形成され始めてい る。これをある者は制作のインスピレーションやオンライン・キュレーションの素材とし、ある者はマー ケティング戦略へと巧みに組み込み、またある者はコレクタブルなオブジェクトとして収集する。こうし た営みは、時間も空間も砕けた文脈なきフラットなガラス面上に広がる荒野の地下深く、未知なる極限環 境で行われ、異形の創造物を生成する。それらはフィードとストリートが、都市と自然が、二次元と三次 元が、虚構と現実が、際限なく絡み合い、複数の結節点としてある形を成す。 この環境を何と名づけるべきだろうか。ひとまずの名として「ボルメテウス」を与える。

同上


 多数のアーティストが参加しており、この展覧会も全体の世界観を味わうものと捉えた。ウエブサイトを出典とし、どんなアーティストが参加しているのか、そのプロフィールと作品の写真を、まず。


GILLOCHINDOX☆GILLOCHINDAE(ギロチンドックスギロチンディ)

1999 年東京生まれ。漫画、映画などのサブカルチャーに触れ育つ。都市 と青年を題材にコンセプチュアルで物語的な表現を行なっている。現代美 術の展覧会とライブを組み合わせて、7 年間にわたり物語が展開されてい く長編プロジェクト「獸」を開催している。また、日本橋馬喰町にあるギャ ラリー「CON_」のキュレーションなども行う。


横手 太紀(Taiki Yokote)

1998 年生まれ。神奈川県逗子市出身。 身の回りに存在する気に留められることの少ない物や、そのネガティブな 性質に着目し、彫刻的にアプローチする。動きをもたせた彫刻やインスタ レーション、映像、写真といった表現を用いて制作している。作品を通じ て物のもつ「野性的な側面」を浮き上がらせ、そこに潜む見えない物語を 予感させる。


梅沢 和木(Kazuki Umezawa)

1985 年埼玉県生まれ 。 2008 年武蔵野美術大学映像学科卒業、作家活動を開始。 インターネット上に散らばる画像を再構築し、圧倒的な情報量に対峙する 感覚をカオス的な画面で表現する。 梅ラボ名義でもネットを中心に活動している。CASHI 所属。


Hanna Antonsson(ハンナ・アントンソン)

1991 年生まれ。スウェーデン・ヨーテボリを拠点に活動。動物の視点、 象徴性、神話における存在、そして私たち人間の日常生活に興味を持ち、 剥製を用いた彫刻や写真作品を中心に制作している。作品に登場する鳥は すべて、ロードキル(道路上で起きる野生動物の事故)や、自然の原因で 命を落とした鳥が使用されている。


Hyunwoo Lee(イ・ヒョヌ)

1994 年生まれ。環境が従属するものに押し付ける冷酷さと非礼さを示し ている。時に環境、同じ対象物を無理やり絡め取り、拘束し、その存在様 式を無力化する。「無題」シリーズは、環境が対象に及ぼす力の構造をコ ンセプトとし、その力に飲み込まれることで生まれる一つの形として、彫 刻の形を現す。


Lucas Dupuy(ルーカス・デュプイ)

1992年生まれ。ロンドンを拠点に活動。少年期の失読症(ディスレクシア) の体験から、作家の個人的で新しい言語 ( 文字 ) として のドローイングや、絵画・デザインの文体を組み合わせた抽象的な作品を 制作している。平面作品だけでなくレリーフ状の半立体的な作品や、サイ ト・スペシフィックなインスタレーション作品も発表している。


布施 琳太郎(Rintaro Fuse)

1994 年生まれ。iPhone の発売以降の都市で可能な「新しい孤独」を、絵 画や映像作品、ウェブサイトの制作、批評や詩などの執筆、展覧会企画な どをアーティストや詩人、デザイナー、研究者、音楽家、批評家、匿名の人々 などと共に実践している。


八木 幣二郎(Heijiro Yagi)

1999 年、東京都生まれ。グラフィックデザインを軸にデザインが本来持っ ていたはずのグラフィカルな要素を未来から発掘している。 ポスター、 ビ ジュアルなどのグラフィックデザインをはじめ、CD やブックデザインな ども手がけている。



布施 琳太郎(Rintaro Fuse)

1994 年生まれ。iPhone の発売以降の都市で可能な「新しい孤独」を、絵 画や映像作品、ウェブサイトの制作、批評や詩などの執筆、展覧会企画な どをアーティストや詩人、デザイナー、研究者、音楽家、批評家、匿名の人々 などと共に実践している。 八木 幣二郎(Heijiro Yagi) IG: @heijiroyagi 1999 年、東京都生まれ。グラフィックデザインを軸にデザインが本来持っ ていたはずのグラフィカルな要素を未来から発掘している。 ポスター、 ビ ジュアルなどのグラフィックデザインをはじめ、CD やブックデザインな ども手がけている。


池内 啓人(Hiroto Ikeuchi)

1990 年東京生まれ。多摩美術大学情報デザイン学科卒業。卒業制作にあ たり、最も身近な存在であったコンピューターの内部が秘密基地に見える という着想からプラモデルを組み合わせたハイブリッド・ジオラマを制作する。


ArtKing(アートキング)

2000 年 愛知県生まれ。2019 年 武蔵野美術大学入学。既製品を用いた立 体作品を中心に制作している。


Zhao Rundong(チョウ・ジュントウ)

1998 年生まれ。現在杭州と上海を拠点に置く。デジタル文化に育まれた 新世代の存在状態に焦点を当て、3D 技術やゲーム技術を駆使して、ポス トヒューマニズム、オカルト、グローバリゼーション、コントロール、ネ オコロニアリズムといったテーマを探求し、それらをポストオリエンタリ ズムのロマンティックな視点で表現している。


Jihyoung Han(ハン・ジヒョン)

1994 年生まれ、韓国・ソウルを拠点に活動中。ペインティング作品の創 作を通して、アイデンティティを探求するアーティスト。性格や星座占い など、科学的には実証できない事柄を意味する擬似科学や、非人間的なイ メージ等に興味を持つ。


回転する瓦礫

 今回の展示で会場は通り抜けできないので、最後の作品を観たあと、コの字を逆にたどって、最初の作品に戻ってくる順路となる。


 入口すぐの作品が、さきにも紹介した横手 太紀氏の作品だ。瓦礫が無造作に配置されているインスタレーションに見えながら、

 目を凝らせば、瓦礫の一番上の石が、くるくると回転している。

 明らかに速く回転しているものから、よく見てやっと「あれ?」と気づくものまで、さまざまだ。

 テクノロジーを連想するような作品が多いなかで、最初と最後にこの展示を観て、さらには輪廻でもするように瓦礫が回転しているとなれば、考えることも多くなる。

 以下は、本展の紹介文の一部。

20世紀末。 第三次産業革命が起きてから私たちは、莫大な情報量とオンライン上にあるもうひとつの生活フィールドの獲得と引き換え、所々の“もの”の奥行きが滞り、それらは陰謀やインターネットミームなどとして新たな価値を植え付けられることが当たり前に存在する世界での生活を余儀なくされました。 伝統とテクノロジー。 活字と画像。 現実と仮想など、至る所のシーンでパイオニアらが本来提示していた各々の基準バランスは崩れ、私たちはオンライン軸で情報が流動的に錯綜、越境する昨今を当たり前とした生活を送り、日々様々な手法より、常に新しい価値観や経験を目の当たりにし続けています。

中でも近代にかけて著しく文化成長を遂げ、視覚とその奥行きにユニーク性をもって発展し続けているSNSの可能性は、多くの存在の意味や役割をも塗り替え時代を進化させている傾向にあります。 インスタグラムやXをはじめとしたSNSアプリが誕生し確立する時代の中で、本展の参加アーティストらもまた、今を生きる私たちと同じ環境下で自身の潜在的思想を視覚化しアウトプットしています。 同時代という括りの中、彼らは生活する土地や環境は異なっていても、デジタルメディア上で共有する何かに影響される側面は確実に存在していて、制作過程でその共通項は特有のオーラとしてのテクスチャーに進化します。

本展「BOLMETEUS」はそのオーラこそが、新たなアートの解釈だと考えます。 まるで、インスタグラム投稿を模すかのようにアートピースを収集(キュレーション)&共有(コレクティブ)する会場。 これは、現にスマホを片手にSNSをみながら物事に価値を見出す生活がある。 つまり、目で見ることを重視した媒体が生活の中の選択で重要な役割を担っている、現代ならではの展示とも言えるでしょう。 また、様々な思想とメディアで成る作品群で構成される空間は、まとめられる事により本来の各々の作品に存在していたテンションよりも至ってニュートラルに収まります。 その結果、空間から浮き出る各作品に宿った質感と雰囲気は、ひとつのSNSアカウントのように、本展にのみ現れる新たな個性として垣間見えるでしょう。 言うなれば、本展は作品単体で完成するのではなく空間を構築することにより完成する新しい作品への気づきを探る実験でもあるのです。

これまで、トランスナショナルなコミュニティを培ってきたCON_と、多様な表現を空間をもって見出すSAIが示す、時代の順応とも反抗ともみれるオンラインベース思想&フィジカル表現から形成される本展は、アートに対する新たなコンテクストを紡ぎ、カオス化する「現代アート」を紐解くヒントになるかもしれません。


街との調和

 この会場を訪れるとき、感じないではいられないのは、ギャラリーと周囲の街が、同じ温度だということだ。もちろんそれを意識して展示作品を選び、テーマを決めているのだろう。

 尖った個性の個々の店舗の雰囲気と、ほどよく混じり合い、

 商業施設内の風景も、借景としてしまう。

 街の空気を纏ったままでアートを鑑賞し、

 同じ空気のなかに戻っていく。

 それは、「映画館から出てきた際に、ここは何処だろうと一瞬戸惑う」ような、くらくらとする違和感はない。同じく現実(?)は続いている、という着地点がある。

 ふわふわとした高揚感のなかに、再び。



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