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夫の病気は治らない


 私は仕事を始めた。

夫の病気は治らない。そう思ったから。


好きなことをさせてあげた。

スノーボードのブーツがほしい(5万)
誕生日に時計がほしい(5万)
誕生日に旅行に行きたい(20万)

どんなことでもやらせてあげた。

それでも、夫は「仕事を始めるよ!」とは言ってくれなかった。


流石に貯金もなくなって来月どうやって生活するの?っという所まで来た


「ねぇ、仕事どうするの?」
「…………」
「貯金もないよ」
「………」
「私、働いていい?」
「……いいの…?」
「だって、働けないでしょ?」
「…ありがとう…」


私は働きに出ることになった。

正社員でも探していたが、子どもを夫に預けれる状態じゃなかったので、アルバイトから始めた。


給料は安いけど、夫がうつ病のことを伝えると

「大変ですね…お子さんを連れて働いてもいいですし、出来ることがあればなんで言ってください!」

といってくれたのでカフェの店員として働きだした。


その頃、息子は幼稚園に通い始めた。
保育園のほうがお金が安かったが、夫が
「保育園はかわいそう…俺のせいで保育園なんて…」というので、幼稚園に通わせた。

当時、幼稚園費25,000円よりも、夫の体調を優先した。

仕事、家事、育児、そして夫の看病で、私は日々疲れ切っていた。

そこまでしても、夫の病状は良くならず、次は不眠症になり、夫のイライラは次第に増えていった。

少しでも夫の意見に、反発すれば夫は怒鳴り、家を飛び出した。

それが車の運転中だろうとも関係なしに、夫は飛び出していく。

そして、少しすると必ず帰ってくる。

帰ってきたら、恒例の私からの「ごめんね」


どれだけ夫が理不尽でも、私がすべて飲みこんで、「ごめんね」を言っていた。


吐き出せないため息と一緒に、言いたくもない「ごめんね」は、夜な夜な子どもを寝かしつけたあと、私は自分の腕をひっかき続けることで、発散するしかなかった。

私の本心にない「ごめんね」を聞いたあと、夫は不眠症も忘れたように、その日はぐっすりと眠れる。

夫の寝息が憎らしく思い始めたのもこの時期からだった。


 朝、目を覚ました。

また、苦しい1日が始まる。そう思って体を起こすと、夫の姿がなかった

不眠症が治らない夫。
医師からは睡眠薬が出ているが、飲むと朝にるとめまいが酷く1日動くことが出来ないので、飲むのをやめた。

そのため、安眠できるマッサージを私がすることになった。
仕事終わり、ご飯を作り、子どもをお風呂、歯磨き、トイレ、寝かしつけ、そのあとマッサージを、夫が寝付くまでする。

さすがに何日もそんな日が続くと、私が先に寝落ちる日もあった。
そんな日は、必ずと言っていいほど、朝夫は居ない。


子どもたちを起こさないように起きて、一階に向かえば、コタツの中で寝ている夫を見つけた。


(飛び出して行ってない)


少し安心して、夫のの腕枕でもう一度眠ろうと横に入ったら、夫が起きた


「…危ないよ…」

「何が?」

「包丁があるから」


コタツ布団に隠れて気が付かなかったが、夫は包丁を抱いて眠っていた。


血の気が引く感覚を、最近よく感じる。


包丁の刃の部分を首向けて抱きながら眠っていたのだ。


「…なんで…」

「わかんない…なんか安心するから」


もう、本当にどうしていいか分からなくなった。


薬も飲んでる。病院にもいってる。

仕事も家事も育児も全部わたしがやってる。

それなのに、夫の病気は治らない。

私がどれだけ頑張っても頑張っても頑張っても、夫には何も届かない。

崩れ落ちる感覚がする。

こんなに頑張っているのに、文句も言わずに、涙も文句もため息も全部飲み込んでいるのに

『ぜんぜん頑張っていない』『お前はダメなやつだ』と心の中のなにかに言われた。


その後は、あまりよく覚えていない。

とりあえず包丁をしまい、子どもたちが起きてきたから、朝の準備をして、私はトイレに篭った。


トイレに入った瞬間、涙が止まらなかった。

スマホを覗き込めば、待ち受け画面は笑顔の家族写真。
夫が病気になる前の、笑顔

なにかにすがらなければ、もう立ち上がることも出来なかった。

気がついたら、家族LINEにLINEしていた。

電話はできない。泣いているのが夫にしれたら、また病気が悪化する。

私は、夫の前で泣くことも出来ないんだ。

そんな思いがより涙を加速させた。嗚咽を噛み締めながら、LINEをした。

親は「そんなに‥深刻な状態だったなんて…」

と焦り、精一杯支えようとしてくれた。

同居しよう。とも言ってくれたけど、夫の状況を考えると、他者と一緒に過ごすにはあまりにも負担が多きかった。


親はお金の支援をしてくれた。

毎月の生活費を半分負担してくれて、私の働く時間を少なくすることを勧めてくれた。


私はその提案をのみ、仕事を週3に変更した。




あとがき
いやーこのときは本当に辛かった。
何より自分のしなきゃいけないことが多すぎた!
ワンオペのワンオペ!
子ども二人に、大きい子ども一人のワンオペ!


でも、案外気の持ちようなんですよね。
今でも、仕事して、家事、育児、夫のマッサージと全てこなしていますが、当時より今は全然楽です😁
もちろん子どもたちが大きくなったので、手のかかる量が減ったというのは大きいですね!

でも一番は家事、育児をする時に
『どうして私ばかり、こんな大変な思いをしなければいけないんだ』
と思わなくなったことです。

気がついたのが、
『部屋は自分が汚れているのが嫌だから掃除をする』
『洗濯は、溜まっているが自分が嫌だから洗濯をする』
家族のために、家事をするのでなく、自分のために家事をして、ご飯を作り、子どもたちと遊ぶ。
そう思うようになったら、とっても楽になったんです。

自分のためにすることだから、疲れてるときは、洗濯も掃除もご飯も手抜き!
だって私はしたくないもん!といった感じに🤭✨

たまに、夫が「汚い!」と言い出すときは
「どうぞどうぞ!!私は今日は疲れていて掃除できないから、明日にするわ!」
と伝えています😙

自分のために、自分が過ごしやすくなるために、動く。

これのおかげでとても救われたことが何度もあります。
まぁ、この考えのおかげで、一世一代の大喧嘩して、離婚までいきましたけど(笑)

それは、第五章ぐらいになるかと思います🤤


次は第二章!転機がおきます。素敵な出会いをしました。
この出会いが無ければ、私は離婚、失踪、自殺、夫殺害。どれかをしていたと思います。


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