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「これでガマンしてくれよ~」は誰に向けてなのかって話

一人暮らしの実母は現在、
入院退院を繰り返して五か月くらいになる。

治療は結構キツイ。

なので
わたしもできるだけ
病院に付き添ったり
実家に寄ったりはしようとしている。

けど、

身近な家族という
甘えがでやすい存在なだけに、
たまにイラっとすることもある。


先日

ワンピースがほしい、
けど服を見て歩くにはしんどい、
という状態の母と一緒に
ネットで商品を選び、
そのあとわたしが実店舗でワンピースを買って送ったところ

「ありがとう。前が全部開いてるのもいいね」

というLINEが返ってきた。


「前が全部開いてる」というのは
よくあるシャツワンピースの形。

今回送ったのは、かぶるタイプのもの。


??どういうイミ??

送ったものじゃない、
違うもののほうがよかったってこと?


後から電話でよく聞いてみてわかったのは、

「現物を手に取ってみたら、
やっぱり診察の時には前をボタンで開けられる
シャツワンピースの方がよかったと思った、
これはこれでいいけどもし次に買うなら
前が開いてるのもいい」
と発言したということなんだけど


LINEでの短い一文だと、その過程はぜんぜん伝わらない。


伝わらないから、
最初のLINEを見たわたしの心の中の正直な第一声は

「えーそれでガマンしてくれよ(イラっ)」


だった。



ガマン。

心の中で思っただけとはいえ
ガマンを強いるって、イヤな感じだ。

母は治療ですでに相当なガマンをしているのは
わたしもよく知っている。
だからできるだけ優しく接したい。


なんで、イラっとしたんだろ?


LINEだと真意が読み取りにくくて
コミュニケーションに労力を要したから?

疲れていたから?

せっかく送ったのに喜んでもらえなかったのが
思いを無下にされたようで悲しかった?

いろいろ考えたけど
どれも少しずつ合ってるようで、
でもピッタリでもなかったので


ちょっとちゃんとわかったほうがいいと思い
お風呂に浸かりながら
心に浮かぶことをブツブツと言い放ちながら
感情を解放していた。

そうしたら

「あ、ガマンしろよって
自分に言ってたっていうことだわ」


と、ようやくわかった。

それが、すごく腑に落ちて、
「あーーーそういうことね」と
身体がゆるむのを感じた。


わたしが自分にガマンさせていること、
それは

患者の家族として病状をそばで見ていることでの
不安、かなしみ、切なさ、期待、落胆、さみしさ
もう少し親切にした方がいいんじゃないか?とかいう
罪悪感などの気持ちを

「それくらい抱えなよ、
つらくてがんばってるのは本人なんだからさ」と

言い聞かせていること。

でも一人で抱え込んでいる自覚はなくて
夫によく話を聴いてもらっているし
そのことにとても感謝しているから
それで十分だと思っていた。


でも、

爆発するほどのガマンじゃなくても
心の中でイラっとする程度でも
そこにガマンがあるなら
それは少ないうちに
自分でケアしたほうが
自分のためにも母のためにもいい。


あーそうか、

「思いを無下にされたようで」って感じたのも

わたしが自分の思いを無下にしてるってことか。


「心配してることも、
思いやりを向けていることも、
たいしたことじゃないでしょ。
それくらい普通なんだから」
って
自分の気持ちを受け止めてなかったってことなのか。

そう思うと

またさらに一歩、
胸のあたりがホッとしてあたたかくなる感じがした。

これが、今のわたしにとっての正解だ。

電話をして、母に真意を聞いてみたあとなら
「なるほどね、
じゃあ長袖ワンピースは
全部開いてるのを買えばいいね」と
普通に思って

「気持ちが沈まないよう、
おしゃれを楽しむのは大事だよね~」と
また
ワンピースを楽しく検索できたように

わたしの心も、
ちゃんと「真意を聴こう」と向き合うのが
必要だったというわけ。

そんなふうに
自分に優しく接することが
家族や相手に優しくできることに
つながるから。

自分にガマンを強いると、
家族にも無意識にガマンを強いる。


もしかしたらほかにも
ガマンしてること、あるかな~?と
身体や心を感じてみながら
もう少し、自分の要望を叶えてあげようと思う。
とりあえず、夫とアイスを食べる。


【心を耕す一歩 その23歩目】

家族にイラっとしたときは自分の心を見るチャンス





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