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私は今日も、JAZZをかける。


買ったばかりの服は、靴は、帽子は、
"自分のもの"じゃ、ない。

まだ、ただの縫ってある布だ。
革だ。フェルトだ。

1回着ただけでも、
まだ"自分のもの"というには、足りない。

だって、そうだろう?



古い、ジャズのレコードを集めるのを
趣味にしている。

手元にあるのは必然的に、
中古のレコードばかりになる。

中古というと、聞こえはあまりよくないけど、
それは数十年という時を経て、
人の手からまた別の人の手に渡り、
そして、自分のもとにやってくるもの。

私は、そういう捉え方をしている。


レコードによっては、
ジャケットに
前の持ち主の名前が書いてあったり、

何か落としてしまったのだろうか、
それとも、あまり大切に
扱われなかったのだろうか、
傷がついている、レコードもある。

レコードは傷がついていると
「ぷつっ」
という音が出る。

気になる人はとても気にするけど、
私はそんなに気にならない。

年月を重ねれば、
いろいろあるのが、当然だから。

それはたぶん、人生も、身に付けるモノも、
そうだとおもう。



服も、靴も、何もかも、
買ったばかりだと、まだ自分に馴染んでいない。

オーダーでこしらえたものでさえも、
きっとそう。

オートクチュールを日常で着る人なんて、
ほとんどいないとおもう。



新しいファッションは、革新。
古き良きファッションは、伝統。

日常のファッションは、継承、だとおもう。


普段から着て、
身に付けて、
動いて、
シワがついて、
少しづつ、汚れや傷がついて。

擦り減って、時には破れて。
そこを縫い直して、補修して、また身に付ける。

そうした積み重ねを、
昨日から今日、
今日から明日へ、
受け継いでいく。

それがあって初めて、モノは
"自分のもの"になっていく。


時には先人が、そういった歴史を刻んだモノを、
私の手元に迎えることもある。

それを、まじまじと眺める。


このデニムの膝の破れは、
誰が、どうやってなおしたのかな。

並縫いが続いていると、
母親や、おばあちゃんが
針をちくちくしている姿が、
そこに浮かんでくる。


靴の爪先が減らないように、
金属をつけているブーツもある。
長く、履きたかったのかな。


帽子のサイズが小さくなったのだろう、
内側の革の部分をつぎはぎして、
広げているものもある。


新しいものを買う余裕がなく、
そういった工夫や修理、
メンテナンスをしなければ
いけなかったのかもしれない。

もしくは、そうまでして、
着続けたかった、
履き続けたかった、
被り続けたかった、
大切なもの、だったのかもしれない。


その歴史や想いを勝手に想像しながら、
受け継いでいくことは、とても楽しい。


また、自分が、新しいモノに
そういった歴史を与えていける存在に、
もしかしたら、なれるかもしれない。
受け継いでいくひとが、いるかもしれない。


そこに、とても大きな喜びを感じる。




さあ、今日は何を身に付けようか。


今日も私は、お気に入りのモノを身に纏う。

きっと今日の擦れ、皺、汚れがついていく。

傷がつくかもしれない。破けるかもしれない。

でも、それでいい。

それがいっしょに、人生を彩ってくれる。


汚れたら、洗えばいい。

破れたら、縫えばいい。

サイズが合わなかったら、直せばいい。

メンテナンスも、もちろんしながら。

そいつを"自分のもの"にしていこう。


なにを着てもいい。

なにを履いても、なにを被っても。



私たちは、自由だ。



着替えた私は、
今日も、大好きなジャズを、
誰かから受け継いだ、
少し傷のある、レコードで、かける。


そして、私の大好きな、
少し傷のある、眼鏡を、かける。

おそらく、数多の人がかけ、
何十年も受け継いできたもの。

これから時間をかけて、
"私のもの"になっていくもの。

そしてきっと、私から、また、
受け継がれていくもの。



AMERICAN OPTICALのホーンリム、

"JAZZ"。


ここまでお読みくださり、
ありがとうございます。


今後も、
あなたのちょっとした読み物に、
私のnoteが加われば、
とても嬉しいです。


今日はお気に入りの服に、
着替えてみませんか。


その日があなたにとって、
いい、いちにちでありますように。

アイ


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