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愛してやまないルノワール「桟敷席の花束」

この絵に出会ったのは、2019年に開催された横浜美術館での企画展だった。わりと最近のこと。


もともと美術館も博物館も大好きだった。子どものころ、母親と一緒に電車で美術館に行っていたことを今でも思い出す。

ただ、どの画家とか、どの時代とか、そういった好みがあったわけではなく、美術館という空間、静寂の中でアートを見つめる時間が好きだった。誰にも、何にも邪魔されない、目の前の作品にただただ没頭できる時間が。

大人になってもそれは変わらず、面白そうな企画展があれば足を運んだ。東京は、絶え間なく、世界中から作品が集まるアートの街だと思っている。こんなにもひっきりなしに企画展が開催され、飽きることがないというのはなんと幸せなことなんだろう。


横浜美術館での企画展も、これが見たい!という作品があったわけではなく、ルノワールは有名だし、印象派の作品はどれも好きだったから。それだけの理由でチケットをとり、いつもと変わりない足取りでその日も向かっていた。



そこで、運命的な出会いをした。


その作品を目の前にしたとき、全意識が吸い込まれ足が動かなくなった。自分でも「えっ」と思った。まさか、「言葉を失う」という体験を、ここで、しかも作品を前にするとは思ってもいなかったから。

おまけに、以前から観たかった作品とか、大きくて圧倒されてしまうような作品じゃなくて。初見の、華やかさもない、ほんの小さな一枚だった。

それがこれ。

ルノワール「桟敷席の花束」1880年 オランジュリー美術館


ルノワールは、本作品の数年前に「桟敷席」という作品も描いている。こちらの方が断然有名だね。


「桟敷席の花束」は、この「桟敷席」で描かれている劇場の一席だと考えられ、その桟敷席の一席にぽつんと置かれた花束が描かれている。

  • 渡したかったのに渡せなかった花束

  • 終演後、置き去りにされた花束

  • 誰かを待っている花束

  • 今まさに渡されようとしている花束…


考えはじめたら、いろんなシーンが頭に浮かんでは消えた。でも、この一枚からあらゆるシーンが映像のように、まるでその場に居たかのように見えてくる。

ルノワールがいない今となってはその真意はわからないけれど、私にはなんとなく憂愁さが見え隠れしているように感じる。でも、他の人からは、180度違う意味の作品に見えているかもしれない。


結局わからない。わからないから、ずっと考えている。

すっかり一目ぼれした私は、ルノワールに関する本をひたすら読んだ。読んだらますます好きになったし、もっと知りたくなった。今思えば、これは完全に恋だね…



作品との出会いから半年後。同じ都内ではあるけれど、仕事の都合上引っ越すことにした。

「次引っ越すときには、新しい部屋には絵画を飾る」

ずーっとこれは思っていたが、ようやくやってきたタイミングで、何を飾るかは一切迷いがなかった。無論、あの花束だ。

なんとかあの作品を家に置きたいと思い、ネットで複製画を探したが、なかなか既製品では見つからなかった。

ルノワールといえば、女性だったり花瓶だったり果物だったり…そんなモチーフが定番なので、こういう暗めの色調で地味(?)な作品はそんなに人気じゃないんだろうな。


複製画が売ってないなら、描いてもらうしかない!!!

そう思った私は探しに探して、最後はKOSH MARTさんにお願いした。
制作可能な作品リストにはなかったのだけれど、「桟敷席の花束」複製画の依頼が可能か問い合わせメールをしたら、すぐに「制作可能」とのお返事を頂き、即決。


引っ越しのタイミングでやってきた、大好きな作品。一緒に新生活をスタートした。

一緒に暮らしてもう2年以上にはなるけれど、今でも何かに悩んだとき、考えるとき、私はいつもこの作品と向き合っている。


「真意も答えも、いくら考えたところで結局わかりっこない」

仕事も人間関係も。人生はそんなことばかりだけれど、考え続けることに意味があるのかもしれない。そして、ひとつの絵に見る景色も、十人十色であり、だからこそ悩む。でも、だからこそ面白いんだね。

これまでもこの先も、私の唯一無二の作品。

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