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【2020年10月23日(金)のこと】言葉の地図とココイチカレー


1. どしゃぶり雨の東京。でも雨音を聞きながら目覚める朝も悪くない。
2. あ、この「悪くない」って言い回しがいい。ドラマ『古畑任三郎』の田村正和の声で頭の中から聞こえてくる。
3. 「いい」じゃなくて「悪くない」。予想外になかなか良くて気に入ったよ的なニュアンスが「悪くない」にはある。
4. なお、うちの母は「うまかった」の代わりに「うしまけた」と言う。美味しいけど美味しいと認めるのが悔しいときに使っているようだ。面倒くさい!


5. むかし、雑司ヶ谷エリアで働いていたことがあった。ケチだから交通費が出なくて、電車代を節約するために目白駅から雑司ヶ谷まで歩いた。
6. わたしはかなりの方向音痴だ。職場は雑司ヶ谷の入り組んだ住宅街の中にあり、なかなか道が覚えられず大変困った。
7. 目印になるものもあまりなくて、これはエピソード記憶として言葉で地図を自分で描いて、覚えていくしかないな、と思った。
8. 赤い屋根の家、かなり古い全体的にこげ茶色の日本家屋、庭に黄色の花が咲く家、赤い花の鉢植えの家、桜の木のある家、お蕎麦屋さん、選挙ポスターのある壁、、、。
9. 春だった。最初は順調で、地図通りに歩けた。でも、だんだん暑くなっていくと、鉢植えで覚えていた家が鉢植えを引っ込めたり花を変えたりしてわからなくなってしまった。とくに黄色い花の家は、重大な道しるべとなる家だったので困った。それだけで全体的な雰囲気が変わってしまい迷子になる。
10. 先日、久しぶりに目白駅から雑司ヶ谷霊園まで歩いてみた。目白通り、右手に田中真紀子さんご子息のビストロを見て左の駐車場、黄色いサイン看板を目印に曲がって、選挙用の宣伝ポスター見て、電気屋さんの前通ってー、と言葉の地図はいまも使えて覚えていて、頭の中で音声でナビゲートしてくれるから面白かった。
11. でも、毎朝、習慣として見ていた菊池寛さんの旧宅の表札。家が建て壊されあり無くなっていて悲しかった。やはり歳月により街の様子は変わってしまう。
12. もちろんわたしも歳をとり、坂道がキツかった。雑司ヶ谷というくらいだから、地形は谷なんですよ、ブラタモリ風に言えば。
13. その点、雑司ヶ谷霊園内のお墓の位置は不動だ。しかし、ひとの記憶はあいまいだから、わたしが感覚的にこの辺だと思っていた著名人のお墓が遠くにあったり、イメージも記憶と違っていたりした。

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街歩きで見つけたカーシェアの看板。ビールっぽいのは、あえて?たまたま?気になる。

14. 記憶。結局、自分の頭の中でいかようにも物語化してしまうし、変容してしまうものなんだな、ということを学習した。
15. 一方で、先日、会った方から、ある話しを聞いた。その話はわたしも知っていて、あれーっと思った瞬間に、もやのかかった記憶がクリーンになり、数年前のイベントにその方らしい参加者がいたことを映像として思い出した。
16. 本人に確認するとやはりいたらしく、わたしたちはそのとき同じ話しを聞いていたことが判明した。数年前にすでに出会っていたんだ。
17. ひとの記憶や伝承、継承に興味があるのだけれど、こういうひとの脳みその曖昧さやもどかしさは、嫌いじゃない。
18. あ、「悪くない」に続き、「嫌いじゃない」。好きではないけど、何でもないわけでもなく、嫌いじゃない、という感じがいい。積極的ではないけれど、ゆるやかな好意がある。


19. ランチタイム文学。今日は仕事お休みだけど、ココイチのチキンカレーをデリバリーした。インド人と結婚した友人が、日本のカレーチェーン店の◯◯だけは美味しいと旦那が言っていた、という話を聞いたのだけど、肝心な◯◯が思い出せずにいる。
20. いつもそうで、印象に残った問いは覚えているのに、答えは忘れてしまう。きっとわたしにとって、人生、答えより「問い」が大切なのかも、なんて、カッコ良く〆る。とっぴんぱらりのぷぅ。


☆追記 「〜ない」シリーズで「まずくない」と言う言い方は好きではない。まずくないなら「旨い」と言え!まして、わたしが作ったものに対して言われた日には血を見〼


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