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バンクーバーの渡航まで、銀座ホステス人生①

先週、無事にカナダへ入国して今日で早くも4日目。ハラハラドキドキだった渡航は、アっという間に1週間が終わろうとしている。
今回はビザが取れるまで、取れてから、渡航日を決めるまでの数ヶ月間をギュッと詰めてお伝えしようと思います。

VISAが取れてからの日々

渡航時期を決めるまで

申請してから1ヶ月もしない昨年の11月末に、カナダへのwork permitビザを取得した。自分でも早く取得ができてしまって、正直驚いた。
もう少しかかるだろう、と。まだ銀座で働きたかったしお金も貯めなきゃだし、と思いながら「まぁ2〜3ヶ月くらいかな。」と。11月末に取れたということは遅くとも2022年11月までにはカナダへ入国しなければいけない。
私の予定では、2023年4月の31歳の誕生日直前くらいで渡航する予定だったのだ。
でも取れてしまったものは仕方ないし、取れたときは正直、本当に嬉しかった。コロナで2年待ったVISAがおりたのだから。
そこからはがむしゃらに働いた。銀座のホステスとしてまだまだやりたいこと、身につけたいこと、繋がりたいお客さまはいたけれど、渡航までの時間を大切に、同伴も営業中もアフターもできる限りに努めた。

ビザが取れた当初は、2022年の秋頃に渡航予定だった。夏のハイシーズンが終わり、フライト価格も少しおさまる頃を狙っていた。それがVISAがとれると気持ちが逸るもので、気づいたら夏頃、夏手前にどんどんと渡航時期が早まっていった。そして最終的には、5月末に渡航すると決めた。


渡航日を決めてから

渡航する時期を7月下旬、と決めてからはとにかくがむしゃらに働いた。業務委託で契約しているお昼のYouTube&インフルエンサーマーケティングの仕事、夜の銀座ホステスとしての仕事。お昼も夜も渡航資金を得るためにとにかくとにかく、毎日必死に。11月末に取れたので渡航まで残り8ヶ月はあるものの、私は20代のうちは貯金をしないと決めていたので資金が本当にゼロだった。
渡航の決断をするまでは入ってきたら入ってきた分だけ、好きなものにお金を使っていた。欲しいもの、ホステス用の衣装(ドレスやアクセサリー)、展示会でのオーダーなどなど。いわゆる、金銭感覚が狂っていた。毎月何十万も入ってきて、そして何十万も使っていた。毎月残るお金は本当に数万円。
これから渡航しようとする人間の貯金額ではない。笑

12月の銀座はとにかく忙しい。私は2021年の5月から銀座の世界に足を踏み入れたので、コロナ前の銀座がいかに盛況だったかは知らない。ただコロナ禍の中でもあんなに忙しいと感じたのに、コロナ前だったらもっと忙しかったことが想像できるのは難しいことではない。

12月はクリスマスもあるのでノルマが課せられ、当然私にもノルマが発生した。銀座クラブのホステスとして初めて迎える12月(クリスマス)。正直、予算を見た時は「えっ、、、」と思った。しかし会社員時代のときも、予算を与えられ自分にできることは行動してきた。それに銀座ホステスの世界は、頑張った分だけしっかりと自分に返ってくる(お給料として)。なのでやる気に変えるには時間はそうかからなかった。担当の黒服とも戦略を考えながら臨んだクリスマスパーティのノルマは無事に達成して、人生の中で最高額のお給料を記録した。

クリスマス期間をやりきって放心状態が続いていた1月。その時はやってきた。
オミクロンによる蔓延防止措置だ。かなりの大打撃だった。
オミクロンが流行り出して、落ち着いていた感染者数の増加に拍車がかかっていた。当然、お店も暇になることが多く出勤調整が始まった。私も然り、調整がかかった。19〜20営業日ある中で、1月は出勤できた日がわずか10日あるかないか。
出勤が少ないとお給料に直に影響する。1月下旬、2月以降のまんぼうが延長される旨が発表された。絶望的だった。過去最高のお給料を叩き出した直後に、過去最低のお給料額を叩き出すのが目に見えていたから。

ホステスとはこういうことと背中合わせなので、常にプレッシャーがあると初めてちゃんと実感することができた。いつもお昼と夜の兼業だったので、夜に影響があってもお昼の収入があった。ただ12月になってホステスとしての仕事に本腰を入れたく、お昼の仕事をセーブし業務委託していた会社との契約を終わらせたのだった。かなりかなり、不安な日が続いた。そして同時に、私にはある決断が迫られていた。

ワーホリのために貯めていた資金が、このオミクロンまんぼうのせいでどんどんと減っていってからだ。同じ時間とお金を日本で何もできないまま減らしていくのならば、資金が少なくても渡航を早めるべきではないか、と。頭を抱えながら何日も何日も、何日も悩んだ。いろんな人にも相談した。
そしてようやっと決めた。人に相談するうちに自分の中で答えはある程度見えていて、でもそれに同意を求めるとか人の意見が聞きたい、とかそういう理由で明確な答えを出さないでいたのだ。でもそれに気づいてからは、やはり自分の中で答えはブレずに変わらずに、軸として存在していたので気づいてからの決断は早かった。

そうこうして私の本当の最終的な渡航は4月中旬と決まったのだった。


続く。

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