A Nakashima

ビューティーライフアドバイザー。美とメンタルと意識、その他日常のことについて、ゆるく丁…

A Nakashima

ビューティーライフアドバイザー。美とメンタルと意識、その他日常のことについて、ゆるく丁寧にを目標に。

記事一覧

心の重りを手放し、軽やかな現実をつくる。

現在、youtubeで日々聞かせていただいている断捨離のお話しをきっかけに、先日、捨てるのに少し抵抗のあった服と向き合う機会があった。 なんの変哲もない、ユニクロのネ…

A Nakashima
4年前
1

自分の信念を知る。世界はシンプルになる。

セルフイメージというものがある。自分が自分をどんなふうに思っているのか、自分に対しての思い込みのことだ。 セルフイメージは3歳までにつくられるという。まったく自…

A Nakashima
4年前
1

『荒地』とバシャールと世界の全体像

いつかの記事のとおり、学生時代、T.S.エリオット『荒地』を題材に卒論を書いた。 とにかくモチーフにモチーフが重なり、作品の内容も構造もかなり複雑で難しい。 けれど…

A Nakashima
4年前
1

美は心を満たし、愛が細部に行き渡る。

指先のお手入れは自分のために。お顔のお手入れは人のために。 これは、わたしのひとつの感性のお話し。 社会人になるまで、なってからも数年ほど、自分でたくさんの制限…

A Nakashima
4年前
3

双子座の新月。起こる現実が教えてくれる、わたしの世界。

わたしにとってここ最近起こる現実は、自分をどう生きたいのか、どんな人と関わり、日々どんな気持ちで、どんな環境でどんな状況で過ごしていきたいのか、を考えさせられる…

A Nakashima
4年前
1

わたしたちが良く生きるために。

最近、お気に入りの本となった、加島祥造・著『アー・ユー・フリー? 自分を自由にする一〇〇の話』。 加島先生は、詩集『求めない』から知って、それがとても好きで、こ…

A Nakashima
4年前
5

お肌と丁寧に付き合う。人生に丁寧に向き合う。

外見は内面の一番外側、という。 皮膚は、体の一番外側の臓器であり、脳と皮膚はつながっている。 受精卵までさかのぼると、人間の皮膚と脳は外胚葉から派生したものであ…

A Nakashima
4年前
1

入る器がなければ、形ないものは存在できない。

T.S.エリオット『荒地』は1922年に発表された。時代的には第一次大戦後。 『荒地』はその当時の現代.人の内面世界を表現しているように思う。 詩の構成がかなり興味深い…

A Nakashima
4年前
4

わたしを知る。そしてわたしは変化する。

人間関係のすべての目的というものは、自分自身をその相手から学ぶということです。 バシャール 表面上は不機嫌な表情を出したりするも、基本は感情を爆発させるタイプで…

A Nakashima
4年前
1

自分がありのままであること。

あなたの世界は、あなたがよいと思うものに満ちている。あなたはその豊かさに簡単にアクセスできる。 エイブラハム みんな、幸せになることを願っている。そのために、最…

A Nakashima
4年前
2

英文学の考察、たまに始めます。

パソコンの前に座り、さて本日のnoteのネタをどうするかと考え、本棚からフレイザー『金枝篇』、外山滋比古『思考の整理学』、T.S.エリオット『荒地』を直感的に取り出して…

A Nakashima
4年前
5

体だけが自分の真実の財産。

わたしたちは、自分の身体をなにげなく使っている。当たり前のように手を使い、足で歩き、鼻でかぎ、口をきき、耳で聞いている。当たり前すぎて、この当たり前にある身体の…

A Nakashima
4年前

美しいとは命を輝かせて生きること。

わたしたちが生まれたときから平等に与えられているものは、命と潜在意識という。 わたしたちが生まれたばかりの頃、潜在意識はまっさらで、可能性は100%だ。したいと思…

A Nakashima
4年前

わたしたちはどこにでも行ける。

昨年、1月と10月に札幌に行ったのだけれど、その行きだか、帰りだかの飛行機の中から窓の外を見たとき、わたしってどこでも行けるんだ、自由なんだ、と泣きたくなった。 …

A Nakashima
4年前
2

丁寧な時間を生きる。

起きたてで、走馬灯のように過去がぱぱっと浮かんだ。そして過去から今に至るまで、上手くいっていない部分の原因が「わたし(自身の行動の結果)か~」とふと思った。降り…

A Nakashima
4年前
2

全ての感情は愛だ。

最近、哀しさや寂しいという感情がたまに愛おしく感じる氣がしている。 人はひとりで生まれて、この世から旅立つときもまたひとりだ。 一人暮らしなので基本的に朝起きて…

A Nakashima
4年前

心の重りを手放し、軽やかな現実をつくる。

現在、youtubeで日々聞かせていただいている断捨離のお話しをきっかけに、先日、捨てるのに少し抵抗のあった服と向き合う機会があった。 なんの変哲もない、ユニクロのネイビーの長袖シャツ。無地。おそらく2、3年くらい前に購入。最初は冬に着るジム用で買ったと思う。それからなんとなく部屋着でも使っていたが、この冬はあまり着なくなった。漂白のシミがとんだのか、裾のほうに一部色が抜けたところが水玉になっている。でもそれ以外は特別汚れも目立たないし、生地の厚さや色も特別うすくなっていな

自分の信念を知る。世界はシンプルになる。

セルフイメージというものがある。自分が自分をどんなふうに思っているのか、自分に対しての思い込みのことだ。 セルフイメージは3歳までにつくられるという。まったく自分のあずかり知らぬところで氣づかない内につくられて、そのセルフイメージで人生は進む。 自分のセルフイメージに、『わたしは可愛い』と入っていると、『わたしは可愛い』人生を送れる。つまり、『わたしは可愛い』という信念で、なにも恐れることなくなんでも行動することができる。 『わたしはなにをやってもダメな人間』というセル

『荒地』とバシャールと世界の全体像

いつかの記事のとおり、学生時代、T.S.エリオット『荒地』を題材に卒論を書いた。 とにかくモチーフにモチーフが重なり、作品の内容も構造もかなり複雑で難しい。 けれども、卒論を書いた当時はバシャールを知らなかったが、バシャールを知ったいま、この『荒地』の構造を見ると、『分裂』と『統合』の作品のようで興味深いと思ったので、少し備忘録を。 バシャールでは、ネガティブなことを『分裂のエネルギー』、ポジティブなことを『統合のエネルギー』という。単なるエネルギーの問題なので、良し悪

美は心を満たし、愛が細部に行き渡る。

指先のお手入れは自分のために。お顔のお手入れは人のために。 これは、わたしのひとつの感性のお話し。 社会人になるまで、なってからも数年ほど、自分でたくさんの制限をかけてしまったことで、自尊心が低く、どこか自信のないわたしが出来上がっていた。 そんな中で、ネイルがとても好きになった。毎月一回ネイルサロンでしてもらう、形の整ったかわいくておしゃれな指先がすごく気分を上げてくれた。 仕事中、ふと目に入るキレイな指先は、『きちんとケアしているわたし』という思いを引き出し、自尊

双子座の新月。起こる現実が教えてくれる、わたしの世界。

わたしにとってここ最近起こる現実は、自分をどう生きたいのか、どんな人と関わり、日々どんな気持ちで、どんな環境でどんな状況で過ごしていきたいのか、を考えさせられる出来事がどんどん来ているような氣がする。 マイナスの感情が呼び起される現実は、すなわち自分にとって望まない現実なのだが、それがあるからこそ、望む現実が分かる。 『嫌い』が分からなければ、『好き』は分からない。『寂しい』『哀しい』が分からなければ、『嬉しい』『楽しい』も分からない。 『他人』がいるからこそ『自分』が

わたしたちが良く生きるために。

最近、お気に入りの本となった、加島祥造・著『アー・ユー・フリー? 自分を自由にする一〇〇の話』。 加島先生は、詩集『求めない』から知って、それがとても好きで、こちらも手に取ってみた次第。 もともと英文学の先生であるという。英文学関連の翻訳や著作が多数あり、その後、『道 タオ』という老子の考え方をもとにまたたくさんの著作を手掛けているようだ。 『アー・ユー・フリー?』は生き方のお話。 すごく愛に溢れた言葉でのお話だ。柔らかく、優しく、人を包み込むような心で、わたしたちに

お肌と丁寧に付き合う。人生に丁寧に向き合う。

外見は内面の一番外側、という。 皮膚は、体の一番外側の臓器であり、脳と皮膚はつながっている。 受精卵までさかのぼると、人間の皮膚と脳は外胚葉から派生したものであり、ルーツが同じなのだ。 これを美容業界では、皮脳同根という。 また、腸も第二の脳と言われ、腸脳相関という言葉もあるが、そのお話はまた次の機会に。 皮膚と脳のつながりは、QOL(quality of life/ 人生の質)と密接に関係している。 実は、皮膚にはアドレナリンやドーパミン、セロトニンなどの、プラ

入る器がなければ、形ないものは存在できない。

T.S.エリオット『荒地』は1922年に発表された。時代的には第一次大戦後。 『荒地』はその当時の現代.人の内面世界を表現しているように思う。 詩の構成がかなり興味深い。 物質世界の欲望、貧富の格差、内面の空虚さ、死と復活のイメージが、それまでの文学という文学のありとあらゆる単語やモチーフで引用しまくり表現されている。それを聖杯伝説のストーリーを土台とし、はめ込んでいるようなつくりだ。 卒論では、『荒地』を題材に、神話とパロディをテーマとした。 外山滋比古先生の著書

わたしを知る。そしてわたしは変化する。

人間関係のすべての目的というものは、自分自身をその相手から学ぶということです。 バシャール 表面上は不機嫌な表情を出したりするも、基本は感情を爆発させるタイプではないのだが、どうもいままで自分の感情をかなり無視してきていたらしい。 ここ数週間、感情を細かく捉えるようにしていたら、腹立ちや苛立ち、嫉妬などマイナス感情が結構出てきている。特にここ数日、結構な頻度で腹が立っているので、意外とわたし、怒りっぽかった。 腹立ちという感情が反応として出る現象はばらばらだけど、どうも

自分がありのままであること。

あなたの世界は、あなたがよいと思うものに満ちている。あなたはその豊かさに簡単にアクセスできる。 エイブラハム みんな、幸せになることを願っている。そのために、最初は分かりやすく物質的な豊かさを目指しちゃうんじゃないかな。 でも、生きていく中で、たくさん迷って悩んで、泣いて喜んで楽しんで苦しんで、感動して。 そうして、足りないものは外に求めてもないんだと氣づく。 ゆたかさって、心が満たされることだ。心が満たされるって、自分がありのままであることだ。 だって、ありのまま

英文学の考察、たまに始めます。

パソコンの前に座り、さて本日のnoteのネタをどうするかと考え、本棚からフレイザー『金枝篇』、外山滋比古『思考の整理学』、T.S.エリオット『荒地』を直感的に取り出してみた。 何気なく『思考の整理学』をめくれば、まさにT.S.エリオットを引用した箇所であったので、ささやかなな直感の引き寄せを感じたところである。 学生時代、英文学学科であり、卒論のテーマで『荒地』を扱った。いつかもう一度勉強できたら楽しいだろうなあと思っているので、noteという場所を、『荒地』関連の考察メ

体だけが自分の真実の財産。

わたしたちは、自分の身体をなにげなく使っている。当たり前のように手を使い、足で歩き、鼻でかぎ、口をきき、耳で聞いている。当たり前すぎて、この当たり前にある身体のことを忘れてしまう。 あるものに目を向けることができず、足りないものを外に求めていく。 けれども、わたしたちは、裸で生まれて、この物質世界でたくさんのものを手に入れるけれども、天に行くとき、持って行けるものはなにも無い。 生きて死ぬまで、自分の意識と心を持って、身体をまるっとすげ替えることも(今の時点では)不可能

美しいとは命を輝かせて生きること。

わたしたちが生まれたときから平等に与えられているものは、命と潜在意識という。 わたしたちが生まれたばかりの頃、潜在意識はまっさらで、可能性は100%だ。したいと思ったことは必ず100%できると信じて疑っていない。できる以外の選択肢はない。だから、立つことができ、歩けることができ、走ることができるようになる。周りにいる大人たちだって、こどもが日々成長するのになんの疑いもない。 こどもの頃、わたしたちは自分自身を100%信頼していた。 けれど、いつの頃からか、自分も大人も周

わたしたちはどこにでも行ける。

昨年、1月と10月に札幌に行ったのだけれど、その行きだか、帰りだかの飛行機の中から窓の外を見たとき、わたしってどこでも行けるんだ、自由なんだ、と泣きたくなった。 それまで、心のどこかで、自由にどこにも行けない、という意識があったんだろうと思う。 修学旅行や学生のときに旅行、社会人になってからの社員旅行があったので、全く行ってないはずないのにね。 何故かなと思って、振り返ってみると、自分が行きたいと思って行動に移していことがとても少ないのだ。 全て事前に行くことが決まっ

丁寧な時間を生きる。

起きたてで、走馬灯のように過去がぱぱっと浮かんだ。そして過去から今に至るまで、上手くいっていない部分の原因が「わたし(自身の行動の結果)か~」とふと思った。降りてきたと言ってもいいくらい。 その『行動』は、わたし自身の卑屈で自己否定的な感覚から来ているな、とまで考え至ったのが、おとといの朝の一瞬の出来事である。 そこから一日中、おひとり様時間の中で、自分がなんとよく頑張っていたかとちょっと泣けたし、自分のことをいつもきちんと褒めてないな、褒めてあげないとなとすとんと落ちた

全ての感情は愛だ。

最近、哀しさや寂しいという感情がたまに愛おしく感じる氣がしている。 人はひとりで生まれて、この世から旅立つときもまたひとりだ。 一人暮らしなので基本的に朝起きてひとり、夜寝るときにひとり。ご時勢的に引きこもっているので、ほぼおひとり様時間であるし、こうやってnoteを書いているときもひとり。 けれども、こうやってひとりでいるときに孤独を感じることってあまりないなあと氣づく。 寂しさを感じるときは、いつだって、人と会えたとき。大切な人と会えて、その時間が楽しくて笑えて愛