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『荒地』とバシャールと世界の全体像

いつかの記事のとおり、学生時代、T.S.エリオット『荒地』を題材に卒論を書いた。

とにかくモチーフにモチーフが重なり、作品の内容も構造もかなり複雑で難しい。

けれども、卒論を書いた当時はバシャールを知らなかったが、バシャールを知ったいま、この『荒地』の構造を見ると、『分裂』と『統合』の作品のようで興味深いと思ったので、少し備忘録を。

バシャールでは、ネガティブなことを『分裂のエネルギー』、ポジティブなことを『統合のエネルギー』という。単なるエネルギーの問題なので、良し悪しはない。

これはわたしの解釈だが、本来の自分の『心』、いわゆる『ハイヤーセルフ』を無視し、物質世界の自分の『思考』が優先となり両者が切り離されてしまった状態を『分裂』。

自分の『心』をしっかり見つめ『分裂』に氣が付き、『思考』の思い込みが外され、自分を『心』そのもので感じられるようになることが『統合』というふうに考えている。

『荒地』が描いているのは、第一次世界大戦後の疲弊した世界だ。けれども、死と豊穣と復活のモチーフを何度も重ねている。

残酷な春から不毛な世界に、最後は雷が鳴り響き、夏を告げるつばめが現れ、ヒンズー教聖典『ウパニシャド』の末尾から引用された祈りの言葉で、希望と願いを残して終わる。

Datta. Dayadhvam. Damyata.
           Shantih shantih shantih.

『統合』とは、『個と全体の調和』ということとつながっているようにも感じている。

最近人に教えてもらってなるほどと思ったのは『ワンピース』。『ひとつなぎの財宝』なので、分裂していたものが『つながる』のでは、という考察。また、『鋼の錬金術師』でも『一は全、全は一』という表現が出てくる。

今まさにこの時代において、わたしたちは心を『分裂』から『統合』に向かわせるようになっているんじゃないかな。

そして、自分と他人が互いに協力しあい、思いやれること。自分と世界がつながっていること。自分だけがいるのではなく、自分がいてこそ世界がある。

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