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本能と思い込み 世界は良くなる FACTFULNESSとSDGs

"世界はよくなっている"

ニュースは時として"特殊なこと"を大々的に報じるが、それは日常ではないことに気をつけなければならない。

本能と思い込み

恐怖本能はヒトが進化の過程で培い、恐怖本能があるから生き延びてこれたとも言える。
恐怖を煽ることはヒトの注意を引きやすいために、メディアは身体的危害、拘束、毒などのニュースを大きく取り上げる。そしてヒトはそれらのニュースを強く印象に残す。

だから世界は相変わらず物騒で危険に満ちているように感じるけれど実際のグラフを読み解くと犯罪件数は減っている。
テロや戦争や紛争の犠牲者も、災害で亡くなる人の数も、飛行機墜落事故も全て大幅に減っている。

だから安心というわけではなく、過去から学ぶことは重要であるが"何により気をつければ良いか"を知るにはグラフを読み解く必要があることを理解しなければならない。

グラフが読めれば、不用意に怖がる事情が減るかもしれない。
例えばそれは感染症の重症患者数であったり、予防接種の副反応発生者数から自分の行動を判断することにも繋がる。

過大視本能

数字を見たら比較をしなくてはならない。
比べることで見える世界が変わる。
その数字が果たして本当に大きいのか、小さいのか
よくなるのか、悪くなるのか

その比較は日常生活全てのものに応用できる。
買っていい不動産なのか、今後の金利は、日本の円は、株は、人口は、肉は、野菜は、死亡数は、業績は、年収は...

一つの数字だけをみてもそれは無意味である。
数は比較することで意味をなすことを常に思い出さなければならないし、比較した結果の背景も知る必要がある。

世界は未来に向けて確実に過去の世界よりも豊かである

最も貧しい地域の最低賃金は上がり、増えた数十億人の人口を食料の面で支えきれており、多くの女性にも教育は行き届くようになった。
科学技術は生命の土地の奪い合いにおけるスペースを提供し、1990年代に放映されていた"地球がもし100人の村だったら"という番組で観たような世界ではなくなっている。

予防接種は貧しい国でも受けることができるし、子どもも亡くなりにくく、たくさん産む必要も無くなった。
だから子どもの数は減っている。
教育とインフラが重要だと知れ渡ったためであるし、時の流れとともに貧困国は中所得国に段階が上がったからである。

世界のインフラが整いつつある。
いくらかでも電気が使える人は80%にのぼり、それによってインターネットが使用できれば、知識は圧倒的なスピードで拡散する。
女性の教育は生まれた子ども、つまり国を賢くするのに必要であるが、貧困国ではおざなりになりがちである。
そこが解決しつつあることが、乳幼児死亡率や出産人数で読み解ける。

出産は女性にとってはとても大きな負担である。

医療やインフラが整っておらず、公衆衛生の知識が乏しい途上国は5〜8人の子どもを産む必要があったが、死なないのであれば避妊具やピルの普及とともに少なく産んで手をかけて育てるという方法にかわる。

だから15歳未満の子どもの数は現在約20億人いるが、100億人になる予測がたつ2100年も"子どもの数は"20億人のままであるし、その理由は大人が増えるためである。
"世界の"平均寿命が70歳になる。

それができるようになったのは世代が上がるたびに富が蓄えられたからだ。
最貧国の人たちが、少ないお金で煉瓦を買って、少しずつ家を作っていくように、その世代が力尽きても次世代の家となるように富が蓄積されていく。

だからヒトの世界は良くなっていく。
その一方で環境には注意を向けなければならない。

ヒトはかつて多くの動物を絶滅させたが、絶滅した動物は戻ってこない。
環境は緩やかだけれど確実に悪くなっていく。

環境が悪くなれば、絶滅するのはヒトのほうである。


かつてヒトは、自分の領国の中の人々を富ませるために争った。
しかし、今地球は一つとなりつつある。

文字の力と教育は偉大である。
皆が学び、知識が人々の間でもれなく共有されればいいと今日も私は祈っている。

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