圧倒的な差の話
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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
ほんきの思いはむくわれる、という話を前回させていただきました。
ほんきと言っても、それがほんきなのかどうかは本人にしかわかりません。漢字で書けば「本気」本当の気持ちということでしょうか。力比べなんてことで子どもが大人に挑戦する場合、子どもは大人に本気でというお願いをします。腕相撲でも綱引きでも。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。
本気の大人と対戦したい。という思いです。いや、本気の大人に勝ってみたいという思いです。
大人にもよりますが、子ども相手に本気になるなんてことは恥ずかしい、または大人げないなんてことで、本気ではなく負けて、子どもにハナを持たすなんてことがあったりなかったりします。
それを子どもながらに察知し、本気ではない。なんて感じている勘のいい子どもが「本気」というリクエストをしてきます。
そのリクエストを受けたとしても、恥ずかしい、大人げないなんて思っている大人はまだ本気を出しません。出せずに出している風を演じ上手に負けるなんてことをしたりしなかったりします。
それも、子どもにはお見通しでこいつは本気を出せと言っても本気を出さない人と判断がおります。
となれば、もう子どもにとってその勝負は力試しはなんの面白みもありません。
いつか自分が本気を出さなくてもその大人に力で負けないくらいにならなければ面白みはでません。
子どもにしてみれば、勝ちたいなんて思いもありますが、圧倒的な力の差を楽しみたいなんてこともあったりなかったりします。
圧倒的な力の差はエンターテイメントです。
大人がプロの腕に見とれるのは、圧倒的な技術であったり感覚であったり力だったりします。
自分では出来ないことに見とれてしまいます。
魚をさばく腕前なんて見ていても飽きません。
150キロでる速球なんて見ていても飽きません。
キレイに一本背負いで投げ飛ばすところなんて見ていても飽きません。
重機で道路のアスファルトをはいでいるところなんて見ていても飽きません。
圧倒的な力の差は見ていられます。
けん玉をしている少年も圧倒的な差があれば、見ていれます。そこには大人も子どももありません。
たとえそれが、練習すればできるようになる。なんてことでも圧倒的な差があれば見ていられます。
子どもにしてみれば、本気の大人は圧倒的な差があり見ていられるモノです。
それを見ること体験することは、勝ち負けよりも大切なことかもしれません。
急に秋が本気をだしてきたので、このあたりで。
ありがとうございます。
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