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100のお話。

100

ぎんぎん、こんにちは、ノウト!

吸うのがすき、という話を
前回お話させていただきました。

人間の哺乳類の最初の栄養補給は吸うことから始まり、吸うことが栄養をとるための本能と思います。その本能は吸うことで栄養が補給しなくてもよくなっても、その頃の名残りからか、何の栄養もない何なら害まであるんじゃないか?などと言われているものを吸ったりしています。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。

記念すべき100回目にふさわしい100の話から、100のお話からさせていただきました。この100の話はふさわしくないと言う意見もあったりなかったりすると思いますが、ボクのこのnoteにふさわしくない100の話など一切ありませんので、全てが100にふさわしくなってしまいます。100ふさであります。なんだか頭髪によさそうな略語になったのでもしよろしければ、100ふさ を使いたい方などいらっしゃいましたら、ご連絡を。

100回目と言うワードで「100」と言う数字に何もちなんでかかってもいないので、そこはどうなんだ?との意見もございましょうが、そこも、「100にちなんでいないことが逆に100にふさわしいんですよ」と言いたいですね。

「ただただ百に、ちなめなかっただけじゃないかい」とみんながみんな思っていることを代表して私が言ってくれた。
「確かにそうともいうね」ボクもボクだって、そう100に、100にちなめたいと思っていたのだ。
「百回だからってわざわざ百をちなませるタイプではないのは重々承知なんだけどね、そう考えればそう思えば、百にちなまなくてもよかったってことだね」何かを察してか、丁寧なフォローをしてくれた。
「100にちなんだ話って、ゴルフで100をきったんだとか?ボーリングで100を超えたんだとか?切符を買おうとしたら100円足りなかったとか?そんな話をすればよかったのかな」ちなんだと言うか100に絡めた話をしようとするボク。
「いやいや、わりと低いハードルだね。でもnoteで百回ってそれくらいのハードルくらいかな、いやくらいだね」
「だろ?ボクはゴルフもしないし、ボーリングもしないからね。いや、ボーリングは100は超えるか?いやいや今やれば100は超えないかもしれないね」とボクと私は、ボクと私がいるのにも関わらずに自分に疑問をなげかけ自分で解決するという100%独り言スタイルをとり始めた。
「じゃあ、ボーリングで百を今から越えにいくかい?」とむちゃなフリをしてきた私。
「いやいや、100を越えなかったときのダメージが大きすぎるよ、100を超えている自分のイメージのまま余生を楽しみたいんだよ」軽く断ることにしたボク。
「じゃ私が、ボクへ百の質問なんてどうだい?」
「誰が興味あるねん、とまずボクは私に第1問目を問いたい。出来れば第100問目に、誰も興味なかったでしょ、と問いたい」
「では第2問・・・」
「いやいや、待て待て。1問目答えてないやん」と1問目を答えてれば、さも100の質問をやりますよ的な雰囲気のボク。
「え?やるの?百の質問」と疑る私。
「いや、やらないよ。誰も興味のない100の回答」
「私は興味津々なんだけどね、百質」私以外、今から100人に聞いても誰も興味はないけれどね。
「100の質問を百質って客室みたいに略すな。逆にボクが私に100の質問とかどうだい?」
「それはそれはみな様、興味津々だよね」ここぞとばかりに100回目の今回はやけにボケてくる私。
「なんでやねん、誰も興味あるかい、キミの100質なんて」とぎこちなくツッコミをいれるボク。
「そうなのか私の百質・・・」とボケではなく本心だったみたいでわかりやすく100回目なのに落ち込んむ私。
「いやいや、なかには57問目なんかが聞きたくて聞きたくてしょうがない人もいるかもしれないよ、100問もあるんだから100問も」
「え?もしかして、もう出来てるの?百の質問の百問?」と驚く私。
「いやいや、出来てたらこっちのほうが驚くわ、キミが提案した企画をボクはさっき聞いただけで、100の質問、100問出来てたら逆に怖いわ」と驚きに驚くボク。
「そうだね」
「72問目までやな」
「そうなの、じゃやろうよ私の百質」と乗り気な私。
「アホ言え、こっからが生みの苦しみが始まるねん、で、100の質問ははじめらへんねん」ときっぱりとお断りをいれるボク。
「しようよ百の質問」とあきらめの悪い私。
「いや0の質問やわ」

’100にちなまない’と、落ち着きかけたのに、なんだか100にこだわりのある私に、100にちなめないとオチつかなくなるようにしくまれてしまった。

この数日前にプロ通算100本塁打を打った選手がいましたね。バッティングセンターに100本のホームランでも打ちに、
「いや、100どころか1本塁打も打ったことがないよ。そもそも100スイングも出来ないし。100スイングチャレンジでもキツイわ」何かと今日はツッコミをさせられる100回目のボク。

100の怪談は100の会談は難しいけど、100の階段なら登れそうだね。
「100段なら登れそうだけど、それをnoteへ書いてもね」と実現可能だが100段をどう書けばいいのか、100も承知なのだけれど、万が一書き方があればと思ったけどやはりない。

「100と言えば、宣伝会議賞のコピーの応募数がちょうど100案なんだから、コピーを100案、考えて載せればいいじゃない」とまたまた100にちなんだ提案された。
「コピーを100考えたとしも、ココには100は載せられないよ、いや、1つでも載せたくはないよ。いろいろな意味で。ところであなたは誰?」と誰だかわからない人が100にちなんだ提案してくれたみたいだ。

ちなみに日本人だけなのかな、この100って数字にこだわる感じがあるのは、テストの点数も100点が満点で・・・と考えても100にちなんだことがパッと出てこない。100と絡んだもの100個提案するだけでも労力が100必要だ。労力100がどのくらいの労力なのかはわからないが、ロールプレイングゲームのHP100と同じと考えてくれればわかりやすいかもしれない。

「なんのロープレのHP100か、わからないのに、労力100がわかるかけがない」と再び登場に私。
「えーー、HPってそれぞれで違うの?個人差があるの100に?」
「いや100は関係ないし、個人差も関係ない。ゲーム差があるんだよ」
「100のロープレがあれば100のHPがあると言うの?MP100はみんな同じMP100だよね、さずがに?」と疑問を投げかけるボク。
「さすがに?MPもゲーム差だよ」とあきれ顔な私。
「ゲーム業界、そこを統一しようってならないの?」
「ならないし、できないよ今更」
「じゃボクの労力100を基準にしてもらってもいいよ」
「いやだからわからんって」
「いやいや、今からキミが100と絡んだもの100個提案すれば身をもって体感できるさ」とまっとうな提案のボク。
「いや、なんで提案せなあかんねん」と見事なお見事なツッコミでしめる私。

100を100回 言えて100に、ちなめれたので、このあたりで。


今回もありがとうございました。
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