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自分にも他人にも自由を許可する。

いつもありがとうございます、SAです。

昨日は色々行動した影響で自分を見つめ直す機会があり、今日までじっくり掘り下げをしていました。

それというのも、自分が信じてやっていることを出会ったばかりの人から「それは良くないよね」と言われる出来事があったのです。

私は起こる現象と人を分けて考えるので、その人に対して腹が立ったというわけではなく、これも自分の投影だから内側に何かがあるんだろうなと思いました。

自分に中にある疑いや否定の感情、、、そう考えると、夢や目標が当たり前に叶う世界線で生きているつもりだったけど、本当にできるの?なれるの?と疑っている部分もある気がする!と思えてきました。

気づいたら手放す、ですね。

こういうのって、多くの場合ただのキーワードとして現れるので、その時に言われたことそのものに関する気づきじゃなかったりするんですよね。

今回もじっくり内観してみたのですが、言われたことに関しては一片の疑いもなく信じてやっていることだし、他人に迷惑をかけていないし、実際に言われたとき衝撃は受けたものの何かそこじゃない気がすると感じたのです。

そしてシンプルに、はじめましての段階、信頼関係の構築できていない相手にジャッジは好ましくないなと感じたし、その前に受容と共感があったら受け手の印象も変わるんだろうなという現実的な気づきもありました。

そもそも宇宙に正解・不正解という概念はなく、人それぞれ価値観が違うので盛大に迷惑をかけていないのなら自由でいいし、正義感や使命感、持論を振りかざして他人をジャッジするのは争いのもとなんですよね。

自分にも相手にも自由を許可する、だから求められていないのにわざわざ他人に介入しない、これ結構大事だと思います。

もちろん自分から介入するのもその人の自由ではあるのですが、その場合は「私は良くないと思う」とアイメッセージで伝える方が、お互いの自由を尊重できて争いになりにくいと感じました。

人間関係って奥が深いですね。おもしろい。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
一言でもピンと来るところがあれば嬉しいです。

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