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いつもありがとうございます、SAです。

最近、信じるという言葉は他人に向けてはいけない、自分に向けるものだという話を耳にしました。

おそらく他人を信じること自体がダメなのではなく、信じるという言葉を他者に向けるスタンスがあまり好ましくない、というニュアンスだと思うのですが、それはいったいどうしてなのでしょうか。

そこで自分なりに考えてみて感じたのは、信じているからこそ、きっとこうしてくれるだろうと見返りを期待してしまったり、相手に依存したりする可能性が高くなるからかもしれないということです。

「信じてるから(こうしてくれるよね?)」と圧をかけて相手をコントロールしようとする、かなりありそうですし、これって本当は全然相手を信じてませんよね。

それに、信じている相手が自分の思いとは違う行動をしたとき、「信じていたのにどうして?」と裏切られたように受け止める人が多いことも問題なのかなと感じました。

自分が相手を信じていることと、相手がとる行動はまったくの別問題なんですけどね。

やはり他者を信じること自体が問題なのではなく、その先で気を付けることがある、そういう意味だと思えてきました。

誰かを信じるのは決して悪いことではないし、信じる気持ちは尊いけれど、信じると決めたのは自分なんだから相手に委ねるのではなく自己責任だと覚悟を決めること、相手を信じると決めた自分自身を信じることが大事になるわけですね。

だから自分に向ける言葉なのかもしれません。

この解釈が意図に沿っているかどうかはわからないけど、なんだかすごく腑に落ちたし解釈の幅が広がりました。

学び多き毎日に感謝ですね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
何か少しでも感じるものがあれば嬉しいです。

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