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クソ陰キャ #一緒に墓に入ってもらうためだけの物語

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最近の記事

居場所と人類愛と試合開始のゴング

きっかけは1年と9ヶ月前。今でもよく覚えている、渋谷のオフィスでのこと。 「安心して眠れる場所がほしい」と言ったら、目の前で相槌を打ちながら作業をしていた先輩のパソコンを打つ手が止まった。そして、「それは、居場所が欲しいってこと?」と探し当てるようにゆっくりと聞いてくれた。私はというと、その言い当てにびっくりして、何故か逆に「え、そういうことなんですか?」と質問していた。 居場所と言われると、ずいぶん大袈裟に聞こえて気が引けてしまった。し、今もちょっと仰々しいなあと思う。

    • 2024/3/31

      産みの苦しみってあるよなぁと思う。そう思うことがあったので、せっせとここに残しておく。 そりゃあ泣いちゃうよね、雫ちゃん昨夜、『耳をすませば』を観た。2ヶ月の試しを終えた雫ちゃんに毎回グッとくるのだが、今回も例に漏れず号泣した。 雫ちゃんが作品を書き上げるシーンの直前は、彼女が畳に寝っ転がってぼんやりと外を眺めるシーンだ。なんだかそこに共鳴してしまった。グッと来た。そこからの、あのお爺さんの一言…。そりゃあ泣いちゃうよね、雫ちゃん。 ものを作ること、ものを作っている人が

      • 役は生きてる

        私にとって、頂いた役は生きた人間だ。 配役が決まってから、まずはその子と色んな話をする。その子がどれだけ自分について教えてくれるかで、結構性格が分かる。めちゃくちゃ気難しい子もいるし、手が掛かる子もいるし、素直な子もいる。 稽古から公演が終わるまでの間は、その子の人生を借りる。公演が終われば、ちゃんとその子に返す。いつ何時でもその子の人生を借りられるように、私といえば常に体を整えておく。これが私なりの役への礼儀だ。 人生はその子に返すので、私の中に残るものはあまり多くな

        • 一歩手前

          少し前、なんだかとても疲れていた日があった。 いつもとは違うバイト先に向かう途中、大きな川があった。バイト先はその川の向こう側。私はそこそこ車通りのある大きな橋の隅っこをちょこちょこ歩く。少し夕方になりかけた、曇った空。大きな川、流れる水音、私の隣を走り去る大型トラックの大きな音。不意に川の方を見てみて、なんだかとても疲れていたから、その日、その時、私は初めて死のうと思った。 振り返れば、私は死にたいと思ったことが一度もなかった。23年間、たったの一度もだ。これって結構す

        居場所と人類愛と試合開始のゴング

          舞台の神様

          「舞台には魔物がいる」という類の話は割と有名だと思う。私の知る限りだけれど、舞台裏に神棚がある劇場も少なくない。恥ずかしながら、そこに鎮座しておられる神様お一人お一人のお名前までは存じ上げない。そもそも芸能の神様はいたとて、お芝居の神様というものが居るのかすら私は知らない。だからこれは、私の中にある信仰に限りなく近い妄想の話として読んで欲しい。 芝居を初めて教えてくれた先生は、「舞台には神様がいる」と言っていた。礼を尽くさなければ怪我をする、ふざけたり浮かれたりしたら事故が

          舞台の神様

          やめてみた

          2022年が始まっていつのまにか4ヶ月が終わった。この間、私はオーデションも受けていなければ、舞台に出演もしていない。ありがたいことにお声かけ頂くことは数回あったのだが、タイミングや諸々の準備が合わず、結局見送りとなってしまった。その結果、宣伝することのない4ヶ月間が生まれた。ちなみに、これはもう少し続きそうである。 生まれて初めて、「意識的に」舞台から離れてみている。 80歳まで舞台に関わるとしたら、残りは57年弱。そんな短い時間の中でも、まあこんな瞬間があっても良いか

          やめてみた

          美しく生きたかった時と、そうじゃない今

          学生時代、同じ学科の友人に「美しく生きたいんだよね」なんて言った事がある。「ふうん」と友人は答えた。 「美しく生きたい」というのと、「格好良く生きたい」というこの二つは、私にとって長くて強い願いだった。後者は単純だ。私の好きな人達に恥じない生き方をする。親や兄弟や友人や恩人が、私の話をするときに自慢げに話してもらえるような、そんな人間であることだけ。 それに比べて、前者は難しい。完全に私のフィーリングが判断基準だからだ。よくもまあそんな曖昧なものを願っていたなぁと今は思う

          美しく生きたかった時と、そうじゃない今

          降り積もった時間で霜焼けになるならそれでも良い

          学生時代、一人の女性パフォーマーさんに出会った。悠に50を超える彼女はノースリーブの花柄のワンピースを纏って、一本の傘と、古い大きな鞄を一つ持っていた。多くの観客や通行人が見守る中、鞄から取り出したトイレットペーパーをクルクルと回して、赤い煉瓦が敷き詰められた道路に延々と白い線を描いたかと思えば、それを回収しろと観客の一人に促す。勿論言葉ではなく、指先と目線一つで。苦笑いしながら手伝う一人と、それを面白そうに眺め、時折笑い声を上げる観客…。 その後どうなってラストに繋がった

          降り積もった時間で霜焼けになるならそれでも良い

          人生の一番

          なんでこのnote更新しようと思ったか、思い出した。 墓に入れようという魂胆は変わらないけれど、ちょうど今バイトを新しく変えて、なんだかそれが、「舞台役者を目指そう」「親に縁を切られても上京しよう」と思った大学3年生の6月や、「この人をもっと大きな劇場に連れて行く」と覚悟した事務所所属初日の気持ちに似ていたからだ。 これまでの人生で、といっても高校生あたりからの人生で、気持ちの転換期がいくつかある。わくわくする感覚や、新しいことが始まるぞという予感。実家を出て静岡の大学に

          人生の一番

          一年で気づいたことと、クソみたいな戦い方

          上京してから、いつの間にか一年と二ヶ月が経っていた。ちょうど今日、一年と二ヶ月だ。 東京に来る前、もっと言えば、日本の中心にある演劇界に来る前、私は闘争心に燃えていた。必ず実力で成り上がってみせる、そして沢山の人たちに恩を返し、喜んでもらい、そして大好きな芝居を死ぬまで続けていくんだと信じて、前向きな気持ちでいっぱいだった。 さて一年経ってみて、どうだろうか。たった一年ではわからない部分が大半だということを差し引いて、感じた事の一つは「悔しい」だった。 売れることと芝居

          一年で気づいたことと、クソみたいな戦い方

          一緒に墓に入ってもらうためだけの物語

          はじめまして、おかざきです。 いくつになっても文章を書くのは苦手です。読むのは好きなんですけどね。なんでですかね、これ。 初めまして。おかざきありさと申します。東京で舞台役者の見習いをしています。見習いとつけるのは、まだまだ私が売れてないからです。1ステージに50人のお客さんを集められたら、舞台役者ですと名乗ることにします。今決めました。 簡単に自己紹介しますね。興味のない方はこの一段落すっ飛ばしてください。佐賀県出身の23歳です。寅年のA型。10歳の頃に子どもミュージ

          一緒に墓に入ってもらうためだけの物語